【連載コラム】動物実験見聞記(7) AVA-net News No.137
橋爪 竹一郎(宝塚造形芸術大学教授・元朝日新聞論説委員)
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厳しい欧米の法規制と3つの合意
数を減らす・苦痛を減らす・代替法を工夫する
前島一淑慶大教授とのこれまでのインタビューを通じて、わが国の実験動物の福祉のアウトラインがおぼろげながら浮かんできた。医学・生物界では動物福祉というだけで反発し、動物愛護でさえも理解の外、という研究者が大多数だとは驚きだ。犬猫などの生き物を機械の部品のようにしか思っていない研究者が多い、とはかねてうわさに聞いていたが、それはほんとうだったのか。そしてこうしたことは欧米などにも共通する事情なのだろうか? 引き続き、前島教授に聴いた。
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欧州は国や地方政府が直接関与
研究者性悪説のライセンス制度
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--欧米の法規制のあらましと、それについての批評をお願いします。
前島「世界的に医学研究者と動物実験に抑制を求める人たちの間には三つの合意点があります。
1、使用する動物の数を減らす。
2、動物の苦痛を減らす。
3、動物に頼らない代用物を工夫すること。
英語の頭文字をとって<三つのR>と呼ばれています。
これを前提にしての話ですが、欧州では国や地方政府が実験施設、実験者、それに研究課題についても直接関与し、ライセンス制度を実施しています。
これはいわば研究者性悪説の発想といってよいでしょう。国が道徳・倫理を押し付けている印象でしょ。厳格性という意味では評価できるが、かえって形式的な官僚主義に陥る危険があります。
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研究機関や非政府機関の委員会任せの米国
メンバーには野生動物の保護活動家や主婦、牧師も
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一方、米国は各研究機関の実験委員会と中立的な非政府機関に多くを任せています。委員会のメンバーには外部者を加えることが法で定められており、法律家、牧師、主婦、野生動物の保護活動家なども入っているのが特色ですね。実験後の報告義務も課せられています。日本も米国方式がいいのでないか。
わが国の動物実験施設の管理責任を負っている人々の過半数は日本の動物実験の福祉に関する法規制に不備があると考え、法改正を望んでいると思う。」
―取材してみて、研究者にもいろいろいらっしゃることがよくわかりました。意外に実験動物の福祉に無関心な方が多いのにびっくりしました。
前島「一部からは強い反対意見が出されるかもしれないが、研究者もまた社会の一員です。社会の意向を無視することはできないでしょ。それに、日本は国際社会の一員であるから、すでに声高になっている実験動物の福祉に関する欧米の批判を退けて独自の道を歩むことはできないはずです。欧米の医学界が受け入れた実験動物の苦痛軽減への動きにわが国の医学会も従わざるを得ないだろうとおもっています。」
―実験動物の苦痛についてわが国でも先年のシンポジュウムで人の苦痛との相違などが討議されましたが、すっきりした規定が出ませんでした。この点、
欧米の考え方はどうなのですか?
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「ヒトの苦痛は動物にも苦痛」は決着すみの欧米
自然科学、人文科学、宗教界を巻き込んだ議論の結果
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前島「欧米ではヒトの苦痛は動物にとっても苦痛である、という合意ができています。日本で論じられていることはすでに決着ずみです。それはたぶん、ダーウィンの進化論以来、自然科学界、人文科学界、宗教界を巻き込んだ論争を続けるうちに徐々に醸成されたものでしょう。
―実験動物の苦痛に関する規定も明確で具体的ですね。
前島「米国では<倫理的基準に基づくヒト以外の動物種を用いた生物医学実験の分類>があり、このなかで実験動物が被る苦痛は五段階に分けられ、動物実験を承認するときの判断材料に使われています。ひどい苦痛を与える実験はむろん許可されないが、このカテゴリーはヒトの苦痛度から類推したものにちがいありません。英国でも『ヒトから隔たった動物が科学的処置を受ける際の痛み、苦しみ、不快の程度を測るのはむつかしいが、(明らかな証拠がない場合)動物にもヒトが感じるのと同様の苦痛があると考えるべきである』とされています。」
やっぱり、動物語はわからなくも、動物にも苦痛が存在することを人間はわかってやらねば。ねえ、研究者の皆々様よ。
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苦しい実験の果てに待つ死
対照群の汚染されていない実験動物の運命
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―いずれにせよ、実験動物は苦しい役目が終わった段階で,今度は死が待っているわけですね。
前島「原則としてそういうことです。多くの実験動物は最終的に解剖して病理を調べます。また、化学分析のためにいろいろな臓器を取り出すことになり
ますからね。それが実験の終点です。
このほか、実験動物は多種多様な薬物や病原菌を投与されているのがふつうです。仮にこれらの薬漬け、病原菌付けの動物を社会にもどすと、公衆衛生上の問題も生じてきます。だから、安楽死させる。それが実験動物のたどる一般的な運命です。」
―例外的な実験動物もあるでしょう。たとえば実験の対照群にまわされた動物の場合など。
前島「むろん、汚染されておらず、実験の終末が死でない動物もいます。その処遇をめぐっては2つの考え方がある。
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苦痛を繰り返さすか、総数を増やすか。
どちらが残酷?
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1つはその動物を再使用する。これによってほかの動物が無傷で助かる。つまり、犠牲になる実験動物の総数を減らそうとする考え方。
もう1つは、でも、それでは同じ動物が何度も苦痛を繰り返し受けねばならない。それはかわいそう、と反対する人々。この立場にたつと、つぎつぎ新しい動物が犠牲になり、その総数は増え続ける…」
うーん、あちら立てれば、こちら立たず。実験動物に逃げ道はない。特定の個体に同じ苦痛を何度も繰り返すのはかわいそうだが、かといってつぎつぎ犠牲者を増やすのもかわいそうだ。いや、かわいそう、などという言い方は傲慢か。
ところで、実験動物の苦痛について他の分野の研究者はどう考えているのだろう。学会としてどんな取り決めをしているのだろうか。<苦痛>に詳しい滋賀医科大学の横田敏勝教授を訪ねてみた。
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「人間が耐えられぬ痛みに動物をさらしてはならない」
「動物より先に研究者自身が苦痛を経験せよ」
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―動物にも人間と同じような苦痛があるのでしょうね。
横田「もちろんです。ですから、私の所属している国際疼痛学会では、『人間が耐えられないような痛みに動物をさらしてはならない』という基本理念を決めています。
― なるほど、その理念に従って、もう少し具体的な規定はありませんか?
横田「動物実験の前に、まず研究者がその痛み、刺激を自分自身に加えてみるべきである、という規定もあります。罰則はありませんが。」
―それはすごい! 会員のみなさんは実際にそうしているのですか?
横田「もっとも、この規定には、〈それが可能な場合に限る〉という条件がついていますから」
― 実際に、どういう場合に適用されたのですか? 例えば……
横田「さあ、私はまだ知りませんね。」
はじめ、この規定を聞いたとき、すばらしいと感心した。罰則はないにしろ、発想が飛んでいる。ヒトも動物もはじめて同じ土俵にあがるのだ。
しかし、だんだん詰めていくと、どうやらこれもやっぱり言葉の遊びではないかと気付いた。実際には、<それが可能でない>痛みのほうが多いに決まっている。いや、100%そうだろう。やはり動物は苦しんで死んでいくのだ。研究者が自分の身体を使って実験できるレベルのものなら、はじめから動物実験の必要がないのだから。
まあ、しかし、努力目標だけでも研究者の姿勢は評価できるというべきなのだろう。
少し気落ちしながら、私は別れるとき、横田教授に「魚でも痛みは感じるのですか?」と尋ねた。趣味やスポーツとしての魚つりがブームになっている。釣上げた魚を得意そうにみせているブリッコタレントたちをテレビでみて、かねがね気に食わなかったので念のために聞いた。「もちろん、感じますよ」とのことであった。なにもかも人間の都合だけで生まれた事態である。動物や魚たちには何の関係もないのだ。私たちは、もとは同じ祖先の、同じいのちを抱く、地球の仲間だというのに。
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「魚だって痛みは感じる」
「私に食べられる魚はほんとにかわいそう」
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大正末期の天才的な童謡詩人で26歳のとき自らの命を絶った金子みすゞの詩を思い出す。
大漁
朝焼小焼けだ/大漁だ/大羽鰮(イワシ)の/大漁だ
浜は祭の/ようだけど/
海のなかでは/何万の/鰮(イワシ)のとむらい/するだろう。
おさかな
海の魚はかわいそう/お米は人につくられる/牛は牧場で飼われてる/鯉もお池で麩(ふ)を貰う/
けれども海のおさかなは/なんにも世話にならないし/いたずら1つしないのに/こうして私に食べられる/ほんとに魚はかわいそう。
人間という生き物の業のようなものを感じる。神様はこのような残酷で、強欲で、ずる賢い生き物をなぜ地上に誕生させたのであろう。「動物実験は犯罪だ」と言い切った文豪、ビクトル・ユゴー、「動物の墓場を築いてまで生き延びたくない」といった音楽家、リヒャルト・ワーグナーらの苦悩と気高さをおもう。
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