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 HOME > 動物に「苦痛」とは科学的でない?? 言葉の問題へのすり替えに良心的反論相次ぐ  
 

こんな動物実験が必要ですか?

【連載コラム】動物実験見聞記(4) AVA-net News No.134

橋爪 竹一郎(宝塚造形芸術大学教授・元朝日新聞論説委員)


動物に「苦痛」とは科学的でない??
言葉の問題へのすり替えに良心的反論相次ぐ

前回に続き「動物福祉シンポジウム」でのやりとりから…。

 

 「動物が望んだわけでもない苦痛や死を動物に与えるのだから、できるだけ苦痛を軽くし,苦痛を受ける動物の数を減らすことは人間の務めだ。また、苦痛で異常になっている動物を用いた実験から良質の情報が得られるはずがないので、こうした倫理的な配慮は科学的な目的にもかなっている」と日本動物福祉協会の山口千津子さんは意見を述べた。

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「苦痛は人間用の言葉、だから動物には苦痛はない」
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 一方、実験動物中央実験所の安東潔さんは次のようなコメントをしている。
 「(動物に苦痛があるかないかと問われれば)科学的な意味では動物に苦痛はないと答えざるを得ない。苦痛とはあくまで人の内部感覚を言語で表現したものである。擬人的な表現を使って動物の苦痛を表現することは科学研究を進めていくうえで非常に障害となる」。

 驚いたでしょう。動物福祉の問題を国語の問題にすり替えようとしている。

 人間用語で動物の苦痛を表現するのは科学的でない、客観的でない、とおっしゃっているのだが、では、逆に安東さんご自身は実験動物の苦痛をどこまで客観的に科学的に身をもって感じ表現することができるのだろうか。自分たちの権益・職場を守るために無益な言葉遊び、定義ごっこで批判の矛先をそらそうとして、悶えているように思えてならない。

 それに安東さん、こどものころ、国語は苦手だったのかしら、すり替えの出来がよくないねぇ。加えて、盗人猛々しく居直ろうとしているポーズもうかがえて、好感がもてない。
 こちらもちょっと居直って、国語の問題に取り組んでみよう。安東さんの言い分は、たとえば、こう言い替えることができるでしょう。
 「苦痛という言葉は人間言語である。したがって人間言語を話さない動物たちには苦痛は存在しないといえる」
 「われわれ実験者は、苦痛というイヌ語を理解するまで、イヌの苦痛や不自由や死に至る苦しみを知ることはできないのである」
 人間同士でも他者の苦痛はわからない。動物に人道的配慮を。

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「人間は動物の苦痛を察することができる」
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 ところで研究者側にも良心のある人は少なくなかったようだ。相次いで反論が出た。
 国立国語研究所の野元菊雄さんは、山口・安東両氏をとりもつ形で、まず、「苦痛は動物に限らず、人の場合も概念的、抽象的で、(人の言葉を使っても)純客観的に決めることはできない」といった。
 人間だって、他人の苦痛は物差しではかるようには決められないというわけである。察するほかはないのだ。身体を不自由に固定されて、切り刻まれている動物は苦しそうだな、と想像する。それで十分ではないか。
 戦時中は敵の捕虜がそういう人体実験をされた。これもきっと苦しかったに違いない。捕虜の話す言葉が外国語で理解できなかったとしても、「苦痛」は察せられよう。
 そして、野元さんはこう結論づける。
 「その意味で、動物における苦痛の存在もわからない。動物福祉運動は感情移入といえる。しかし、動物がどう感じようとヒトの感じるところに立って処理することが1つの解決策だ。動物と関係なく人道的な配慮で実験を行うが現実的でなかろうか。」

 わざとらしい言い回しで迂回している個所もあるが、安東氏に気を遣っているのだろう。この意見はじつにまっとうですっきりしている。こう言いなおしてみよう。

 人間は人間同士でも他人の苦痛が正確にはわからないように動物の苦痛も正確にはわからない。動物福祉運動は人間が実験される動物をかわいそう、気の毒と感じ、考えて行っている。動物がどれくらい苦痛なのかは科学的にも正確には測定できないのだから、人間の感じ、人道的な気持ちが大事だ。動物の苦痛を定義するより、人間らしい心で動物実験を考えることが先決だと思われる。

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人と動物は同じような苦痛を持っているからこそ動物実験の意味がある
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 つぎに追い討ちをかけるように、麻酔学者からは「基本的には動物も人も同じ苦痛のメカニズムを持っているから麻酔の実験の意味がある」という趣旨の発言があった。思わず拍手をしたくなるセリフだ。短いが、パンチは絶大だ。

 だって、人間用の麻酔薬も、安東さんの言うように、人間と動物の苦痛が違うのなら、人体実験でつくり出さなきゃならないじゃないか。そもそも人間と動物の苦痛が共通しているからこそ、動物に死に至る苦痛を味わわせながら実験する意味があるのだろ。

 動物実験からスタートして、人間が恩恵を受けているのだ。動物も人間も同じように痛いからこそ、人間に効能があるんだろ。人間に通用しない医学・医療のために動物実験をしていると言うのかね。人間はずるいぞ。一方では動物の苦痛を利用して、その苦痛が人間にも通じる前提で人間の各種治療、薬剤をつくり、一方では、人間と動物は違う、動物には人間のような苦痛がない、だから人間が残酷と思うことをしても動物には残酷でない、と二枚舌を使っている。それが科学といえるのかね。科学の根本は、どこにでも通じる普遍性だ。その場その場のご都合主義で科学なんて偉そうに言うもんじゃない。

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動物の苦痛が科学的でないというなら、別の用語を作れ
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 また、岐阜大学農学部の大橋秀法教授は安東発言に対し、「現段階では科学的に実証できないが、一般の人々が考えている苦痛が動物にもあると私は考えている。もし、それが科学的に人の苦痛と違うというのであれば、別の用語を作ってもらいたい」と、迫った。これも胸がすかっとする発言だった。国語問題には国語問題で止めを刺したのである。

 これらの発言には研究者たちの良心が感じられ、気持ちが温かくなるが、安東さんは「人の感情や精神的内容を表現する言葉を、安易に動物に当てはめて使うことに問題があると言っているだけだ」と防戦にたじたじの1幕でした。

 これに先立つ冒頭説明で安東さんは「動物の苦痛の問題は科学と倫理の二つの側面が交差して複雑になる」とつぎの要旨を述べている。
 「動物にも人間の痛覚に相当する内部感覚が存在する。だからといって、安易に動物の内部感覚を人間の内部感覚の表現語である苦しみ、痛み、悲しみなどに移し替えたり人の世界のイメージを投影することは科学的に見ると客観性を欠く。

 むろん私たちには動物を慈しむという、人間が本来持っている感情があり、これを大切にすることは重要である。動物実験の大部分は明確な目的を持って遂行され、人に役立っているし、積極的に動物を残酷に扱おうとしている研究者はいない。
 しかし、第三者の目で見たときに残酷と映ることがあるのも事実だ。科学の領域の外にいる人々の批判を無視することは適切でなく、実験者とそうでない人々のコミュニケーションは大切と思われる」
 安東さんはわが国の動物実験分野の実力者らしい。初の動物福祉シンポジウムとあって、はじめのうちは建前とホンネをうまく組み合わせてソツない筋運びでしゃべっていたのが、いざ、本番の議論になると、つい、ホンネが溢れ出てしまった、という印象だ。

 出席者のうち、実際に動物実験に携わる人たちの多くは実験動物の身の上など、どうでもいいではないか、要するに人間側の研究成果だけが問題なのだ、といいたげだった。安東さんの発言にもこうした空気が背景にあった。そのなかで、ひときわヒューマンで良心的に響く発言をしたのはK教授だった。

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「残酷な動物実験を恥じる」??国立大学教授の告白と具体例の数々
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 現在、一流国立大学の医学部教授を勤めるKさんは、若いころの動物実験を振り返って「手段を選ばず、後で深く悔いることがあった。他の研究者も同じだと思う」といくつかのホンネを語っている。

(日)実験動物を必要なときに必要な数だけ、できるだけ安くわずらわしい手続きなしに入手したい。

(月)実験の準備や手続きはできるだけ省略したい。動物が痛くてもかまわない。

(火) 実験が残酷と感じてもそのうち慣れるので、他の実験方法を工夫するのは面倒だ。

(水) 外科処置などのあとで動物がどんな状態になろうと実験終了時まで生きておれば実験は成功である

(木)目的とするデータが得られればそのときが実験終了であるから、そのあとに動物がどうなろうとかまわない。

 そのうえで「私がそうであったように、研究者はややもすると目的のためには手段を選ばず暴走し、後に深く悔いることがある。臨床獣医学で蓄積された動物の苦痛に関する資料を参考にして人間的な心で動物に接していただきたい」と結んでいる。
 「私の周りには残酷な実験など絶無だ」と言い張る研究者が多いなかで、これらの発言はきわだって斬新で密室のベールが捲くられた気がした。

 研究者のなかで稀な動物の庇護者に違いないAさんをボクは後日訪ねた。

 

 

 

 

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