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 HOME >子犬の「シロ」が暴いた密室の悲惨と無意味―短い一生を終えて新しい飼い主の庭に眠る「シロ」―都は病院への払い下げ廃止を打ち出す
 
 

こんな動物実験が必要ですか?

【連載コラム】動物実験見聞記(14) AVA-net News No.144

橋爪 竹一郎(宝塚造形芸術大学教授・元朝日新聞論説委員)


子犬の「シロ」が暴いた密室の悲惨と無意味

短い一生を終えて新しい飼い主の庭に眠る「シロ」

都は病院への払い下げ廃止を打ち出す

 実験犬「シロ」の悲劇はマスコミでも大きく取り上げられた。
 動物保護団体の野上ふさ子さんらは国立病院の監督官庁である当時の厚生省に動物福祉の強化と動物実験に対する倫理の確立を求めた。また、シロを払い下げた東京都に実験用払い下げをやめるように要求した。
 国も都も生きた具体的な証拠をつきつけられて弁明も逃げ道も塞がれた。野上さんらの要求を認める方向で検討をはじめた。

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 都は「実験用の払い下げは人道上しのびない」
 頑なな病院側も世論に屈してついに非を認める

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 都は同病院への払い下げを止めることを明言しただけでなく、「家族同様に飼われていた動物を実験用に払い下げるのはたしかに人道上しのびないものがある」と、他の病院その他にも払い下げを廃止する方針を打ち出した。
ただ、当の病院側はシロ事件後もかたくなな姿勢を崩さなかった。他の実験犬たちにシロがかかっていたカイセンという伝染病が広がっても獣医師にみせず、消毒や衛生管理は放置されたままだった。相変わらず鈍感で非情で傲慢だった。
 一方で、病院には実験の実態を知った人々からの抗議や非難が連日殺到し、病院側の改善を求める署名が二ヶ月足らずで1万人を超えた。この時点でやっと病院側も非を認め、つぎのような回答を発表した。
?手術後の管理が不適切だったことは認める。
?脊髄の神経切断の実験は今年度で終了する。当面その後の実験計画はない。
?今回の実験においては手術のあと、傷口を手当てすれば後遺症もなく生存できる。従ってシロは実験後、殺さず生かしておくことも考慮中である。
?犬舎で飼っている他の実験犬の病気の発生については獣医師に見せることにした。現在治療中である。
 このほか、実験犬の檻の床も半分にはスノコを敷くことを約束した。
 野上さんらは「脊髄の神経切断という大手術のあと、激痛の犬たちが金属の棒状の床で足を挟まれながら横たわるという悲惨な状況だけでもこれでなくなる」と小さな安堵をした。

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 シロは付加価値がついて身代金200万円也!?
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 さて、その後のシロの運命を報告しておこう。 
 動物保護団体の人たちに救出され、動物病院で手当てを受け、元気を取り戻したシロをどうするか。シロはだれのものかをめぐって、病院と保護団体の間で意見が対立した。病院はあくまでシロの所有権を言い張る。警察に正式な被害届を出してシロの返還を求めた。その論拠が笑わせる。
 なぜシロの返還を求めるか。シロは病院の財産だからである。シロにはしめて200万円也の価値がある。その算定はつぎのとおりだ。
 シロの入手価格は都に払った手数料1300円ではあるけれど、「実験をしたことにより付加価値がついた。それは200万円相当額である。返さない場合は、損害賠償請求も辞さない」と主張した。
 保護団体の方では「手術前も、手術後もろくに見に来なかった。シロはほったらかしでボロボロになっていた。手術の傷口のほか、伝染性の皮膚病にかかっており、私たちが頼んだのに獣医にもみせなかった。みるにみかねて緊急的に救出した。病院の現状は何も改善されていないのだから、いま戻せばシロは死んでしまう恐れがある」と受けて立った。
 それ以上に問題なのは、学術のため、医学のため、といいながら実験のデータや記録さえ長年にわたってろくすっぽにまとまっていなかったのだ。
 しばらく係争は続いたが、91年8月、病院はついに病院内でのすべての動物実験を廃止し、これに伴い自動的にシロの所有権を放棄した。
 病院における動物実験の位置づけは大したものでなかったのだろう。そうでなければこんなにあっさり廃止には踏み切れなかっただろう。それとも実験手術でボロボロになり放置していた時価200万円相当の実験犬シロがいなくなって実験研究に支障が出たとでもいうのだろうか。
 さて、シロは病院から解放され晴れて自由の身となった。保護団体のメンバーの1人が引き取った。新しい飼い主はシロが自由にのびのびと暮らせるようにと田舎に引っ越した。のどかな自然の中で飼い主と散歩し、遊び、生き生きと心身のリハビリがすすんだ。病院の実験棟にいたころと、田舎暮らし、両方の写真を見比べると、地獄から救い出されたシロの幸福ぶりがひと目でわかる。
 しかし、その年のクリスマスイブの夜、なぜか鎖がはずれて、シロは国道に迷い出て車に轢かれてあっけない最後となった。手厚く葬られ、いまシロは新しい飼い主の明るい家の庭の片隅で家族の一員として眠っている。
冷静で理論派でふだんほとんど感情を外に出さない野上さんが珍しくおセンチに、シロに次のような追悼文を書いている。
 「元の飼い主に暴力を受け、処分してくれと動物管理事務所に持ち込まれ、そして脊髄の神経を切断されるというもっともつらい実験を受け、冷たい鉄の狭い檻の中で死にかけていたシロの、あまりに哀れな短い一生でした。
 シロは2歳あまりでその生を終えました。けれどもシロが社会に投げかけた波紋は、はかりしれないものがありました。飼い主に捨てられた不幸な動物たちのことを考えるとき、そして動物実験反対の世論が広がるとき、シロは人々の記憶の中にいつでも思い起こされるだろうと思います」
 もうひとつ、飼育係のおじさんのその後もあわせて報告せねばならない。
 やさしいおじさんは、その優しさを病院側からとがめられて、解雇処分を言い渡された。
 おじさんは抵抗した。がんばった。
 犬を散歩させたのがどうして悪いことなのか、
 犬が少しでも正常に近い状態でおらせることは、実験のデータをより正確にすることにもなるではないか、と。
 病院側と交渉しているうちに、とうとう実験そのものが廃止されることになり、おじさんは結局、職場を失う結果となった。それからのおじさんの消息はわからない。しかし、おじさんは犬たちに示した自分の行為をいまもきっと後悔はしていないだろうとおもう。

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 「安楽死」のイメージは間違い
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 さて、シロの元飼い主にそんなナイーブな気持ちがあったかどうかわからないが、動物管理事務所などへ飼い犬や猫を持ち込む人は「安楽死」を想定しているケースが多いと野上さんは書いている。
 というのは、自治体は飼い主に飼えなくなった犬猫を捨てないで保健所や動物管理事務所な持ち込んでもらうように呼びかけているが、その際、まず引き取り人を探し、それが現れない場合は「安楽死」させるーーそんなイメージを流しているからだ。
 飼い主にしてみれば、眠るように死んでいくのなら、と少しは良心の気休めになろうというものだ。法律で行政による犬猫の引き取りが義務付けられた自治体はその効果をねらっている。しかし、現実はそんなものでない。
実際は動物たちはひとまとめにガス室に送られ、炭酸ガスで殺処分される。いや、もっと悲惨なのは若くて健康で人に馴れた犬猫ほど、なにより実験動物に適している。ひそかに研究機関に払い下げられているという事実。
 お役所仕事の無神経さは言葉遣いにも現われている。本書によれば、飼い主が捨てる犬猫は役所用語で「不用犬猫」だし、地方によっては「定点収集」と称して、収集日を定め、犬猫をゴミ収集と同じ要領で回収して集めるシステムをとっている。
 それでも現行の「動物の愛護及び管理に関する法律」(旧「動物の保護および管理に関する法律」)ができて、名目的には動物実験への払い下げ先や頭数などがわかるようになった。それ以前の大学における実験動物の実態は野ざらしの生けるゴミだった。
 「医科系の大学の近くに住む人、あるいはその側を通った人の中には,食べ物や飲み水をろくろく与えられないで、やせおとろえた体を鎖につながれ、雨をさけて軒下にうずくまっている犬や、屋外にほうり出された犬の解剖死体を見た人は何人もいるにちがいない」(田嶋嘉雄『ラボラトリーアニマル』1984年4月創刊号)
 野上さんは上記を引用した後、つぎのように書いている。
 「法律が制定される以前に撮影された動物実験の現場における犬たちの写真は、今でも見る人の胸を締め付けるような悲惨な光景を写し出しています。
○大学の裏の建物の蔭につながれて、雨が降ればぬかるみとなっても泥海の中に放置されたまま。
○血を抜かれ生きたままビニール袋に入れられて焼却炉に運ばれる。
○実験者の姿を見て血尿を流す。施設が不衛生なために皮膚病や感染症がまんえんする。
○術後に何の手当てもされないまま放置されて、苦しみぬいて死を待つ、などなど。
 しかし、これらの写真の光景は過去の野蛮な時代の出来事だった、のではありません。動物の痛みも苦しみも思いやることのない実験研究室のあり方は、いまなお現存するということを証明したのが、『シロ』という実験犬の事件でした」

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 人間の残虐性との闘い
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 実験犬シロが経験したようなできごとが、実験室の外でも日常茶飯事に広がっている気がする。
○人間に懐いていた公園のハクチョウ・コクチョウが20羽以上も首を折られたり、撲殺され、母鳥が抱いていた卵が無残に割れていた。
○居酒屋の経営者がメニューに「鹿の刺身」を加えようと、奈良公園の鹿に矢を放った。
○「相手はだれでもよかった」殺人、「巻き添えになっても知らんからね」自殺の流行。
○連日のように報道される各種幼児虐待のオンパレード。
○老人ホームの入居者を対象にした各種医学実験が本人に無断で行われていた。
○これまで一度もしたことのない高度な手術を複数の医者がマニュアルを読みながら患者に施し、死なせてしまった。
○なかでも驚いたのは「おなかの中に何があるのか調べたかった」と母親の腹部を裂いてしまった少年がいたことだ。これは何の実験と呼ぶのだろう。

 以前、野上ふさ子さんが動物実験の残虐さに関連して、「実験の対象が、そのうち動物から人間の弱者(精神障害者、高齢者、患者)へ移っていきますよ。弱者を思いやる気持ちの喪失はやがて社会全般に実験病の蔓延になるのでは……」といっていたのを思い出す。
 なんとなくこの予言どおりの世の中になっていくようでそらおそろしい。自分だけよければいいーー想像力というものが病的に欠如した社会にいま、私たちは住んでいるのだ。

 

 

 

 

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