【連載コラム】動物実験見聞記(13) AVA-net News No.143
橋爪 竹一郎(宝塚造形芸術大学教授・元朝日新聞論説委員)
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子犬の「シロ」が暴いた密室の悲惨と無意味
―実験犬は病院でどんな目にあわされ、人々にどう救われたか―
記者時代、表面的な取材に追われた私には動物実験の自前の知識や情報はごく限られている。この連載を続けるにあたってなによりの情報源は野上ふさ子さんの著書「新・動物実験を考える」(三一書房)だ。具体的な数字と豊富なエピソードで構成され、文豪ヴィクトル・ユゴーや、ロマン・ローラン、著名な心理学者カール・ユング、音楽家のリヒャルト・ワーグナーらも登場する。フランスでの動物実験反対協会結成のいきさつなどは短編小説を思わせる。動物の命への取り組みから始まり、環境問題、文明論、さらに熟読すると哲学書の趣さえある。
ただ、テーマが深刻なのと、問題の性質上、全体に内容は硬くなる。一気にすらすらというわけにいかない。
そんななかで、一匹の子犬「シロ」の短い生涯を描いたくだりはドラマチックで異彩をはなつ。山積みの言葉や科学や、理論や知識や正義よりも、身近でわかりやすく、読む者の心に強く迫ってくる。
新聞やテレビに報ぜられ、絵本にもなった。1歳未満の子犬が東京国立病院の医師たちからどんな悲惨な目にあわされ、近所の人々や動物保護団体の人たちによってどう救出されたか、その顛末を当事者でもある野上さんの著書からたどってみよう。少し古いが、動物実験について有無をいわせぬ得がたいドキュメントであり、貴重な証言だ。おおげさにいうと、いつまでも色あせぬ必読の古典のようなもの。
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ある日曜日、「普通でない犬たちがいる」と一本の電話が保護団体に入った
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1990年10月のある晴れた日曜日だった。
野上さんたちの動物保護団体の事務局へ一本の電話がはいった。東京国立病院の近所の人たちからで、「どうもおかしい、この病院には、普通でない犬たちがいる」というのだ。
野上さんたちはとりあえず、病院にかけつけた。病棟から離れた一角に小さなコンクリートの建物があり、ドアが開いていた。そこは動物の実験棟らしかった。そのまえで数匹の犬たちが太陽の光を浴びている。緑の草の上を歩いている姿も見える。やがて飼育係のおじさんが出てきた。掃除をしているらしい。犬たちはおじさんに駆けつけ、しっぽを振っている。人と動物の楽しい交歓風景だ。
けれども、近づいてよく見ると犬たちの様子がおかしい。よろよろとして明らかに病気とおもわれるもの、足をひきずって歩いているもの、毛の色艶がさっぱりないもの、どの犬も、家庭で飼われている犬たちとまるで雰囲気が違うのだ。
飼育場の中をのぞくと、小さな檻がいくつも並んでおり、檻の床はスノコがない。金属の棒状になっている。掃除が楽だからだ。しかし、その分、動物は不自由で、しんどい思いをせねばならない。くつろげない。
犬は外に出ているのだから、檻のなかはみんな空っぽのはずだった。が、よくみると、ひとつだけ、檻の中に小さな白い犬が棒状の床に足をはみ出して居心地悪そうにうずくまっている。
おじさんに「この犬はどうして外に出してやらないのですか?」と尋ねると、「これは手術を受けたばかりなんだ。外に出すと仲間と一緒に走りたがるだろうが、傷があって痛むからかわいそうだろう」という返事だった。そばでみると、この犬の腰に大きな手術の傷口があり、縫い合わせた太い糸が何本も交差している。ふたつの耳のまわりに血や膿がこびりついて、おできのようになっている。
「どんな手術をしているのですか?」
「よく知らないがここは整形外科の先生が来てやっている」
「この傷は手術のあと? いつ治るのかしら?」
「治るのも、治らないのも、いろいろあるよ。でも、同じことだ、最後にはみんな処分されてしまう。保健所から連れてきた犬だからね。結局、殺されるんだ。」
「苦しいことをされたうえで殺されるなんて・・」
「医学の研究のためにはしかたないんだろうね」
「毎日ここに来て掃除をしているのですか」
「いや、日曜は休みなのだが、犬たちが気になるから。日曜は人が少ないから、今日のように天気がよいと外にだしてやるんだ。喜ぶよ」
おじさんは思いやりのある、優しい人なのだった。実験棟に入れられた犬たちが外へ出してもらい、散歩させてもらえるなんて、どこにもない。どんなに長い、苦しい実験でも、それが終わるまで檻の中だ。日の光の射さない暗くて湿った狭い檻のなかに傷だらけの体を閉じ込められたまま棒状の不自由な床で最期を迎えるのだ。
「ここの犬はおじさんのおかげでまだ幸せですね」
「犬はなつくからかわいいよ。普段の日も散歩させてやるよ。自分もほんとうは定年なのだが、こういう仕事はだれもやりたがらないからね。それに自分が世話しなかったら、ここの犬たちはかわいそうだし」
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健康体だったシロは脊髄の神経を切断され放置され、日々に弱っていく
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医学のため、健全な身体に「手術」を受け、傷ついて小さな檻に横たわっている白い犬を野上さんらは「シロ」と名づけ、たびたび訪問した。見るたびにシロは弱っていった。手術は脊髄の神経を切断するというもっとも苦しいもので、無惨な傷跡のほか、皮膚病がひどくなっている。全身から毛が抜け落ち、赤い皮膚がむき出し。わずかに毛が残っているのは首輪あたりだけになった。研究者にとって、使い捨ての廃物なのだ。
「おじさん、このままではシロは死んでしまう。獣医さんにみせてほしい」
でも、あのやさしいおじさんも「いままでだって、こんなことは何回もあったんだ。なにをいってもだめに決まっているよ」ととりあってくれない。
約2ヵ月後、みるにみかねて仲間がシロを実験棟から連れ出し、動物病院に診せた。そのときのシロの状態は・・。
立つのがやっと、立ちかけるとすぐによろける。ひざに抱いても身動きひとつしない。
耳はカイセンによるかさぶたで固まっている。右耳の先は壊死状態で失われている。
全身の皮膚は赤く、手足の先が腫れている。
脊髄手術の跡にはタコ糸が抜糸されずに残っていた。その傷口が化膿し、膿がいっぱいに広がっている。膿を出すために片方を押すと、体の反対側の傷口からも膿がにじみ出る。
手術の後遺症で、左の前足は逆側に曲がって歩けないし、左後ろ足も自由に動かせない。 皮膚病で全身がかゆいのに、かくこともできない。尾も振れない状態だ。
じつは野上さんらはシロを保護したとき、あまりに痩せてみずぼらしかったので、年寄りの犬とおもっていた。けれども、歯を調べるとまだ1歳未満の若いメスとわかった。
そのほか、シロは頭蓋骨の一部が陥没していた。これはここへくるまえに殴られた跡らしい。かわいそうに飼い主にも暴行されていたのだろうか。
「シロは私たちの目の前に現れるまで、どこで、どんな人に飼われて、どんな扱いを受けていたのでしょう。彼女はただ悲しい目をしているだけで、一言も話さないけれど」
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救出そして追跡調査―健康でおとなしいシロは動物実験用にまわされた
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野上さんらの追跡調査がはじまった。
調べていくうちにシロの身の上のいろいろな事実が明るみになった。シロは1歳未満で飼い主によって東京都動物管理事務所へ不用物として持ち込まれた。そこでは「殺処分」か「実験用」かに振り分けられる。
おとなしい無傷な犬は実験がしやすいし、データも役立つ。そうでない犬は殺処分に決められる。
温和で健康体のシロは実験用に選ばれて数日後にこの病院へ1300円で払い下げられたのだった。そして90年9月17日、不潔な実験施設内の手術台の上で脊髄神経を切断してその経過をみるための実験の道具とされたのだった。
手術のあと、シロはタコ糸で荒々しく縫い合わされ、すぐに檻に戻されたが、術後の激痛に鎮痛剤もうたれず、傷口が化膿しても手当されず、伝染性の皮膚病にも放置され、いや、それよりこの担当医師は手術後、一度だってシロの様子を見にきていなかった。
おじさんの話では、傷ついたシロは金属の棒状の床に足がはまって横たわったまま身動きできずもがいていたという。むろん、シロだけでなく、これまでにも多くの犬が術後の管理の悪さのために苦しみながら死んでいったということ。
「どうせ、払い下げの雑犬だ」「どうせ殺処分になる犬だから」という感覚がこの無関心と冷酷に結びついたのだ。その医師は動物たちを無駄死にさせる常習者だった。
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その病院は過去5年間、動物実験の研究報告ゼロだった
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さらに驚くべきことがわかった。
シロを実験した医師はこれまでに20頭の犬を実験に使ったが、手術の準備段階の失敗や術後の手当をしなかったことなどから6頭もムダに死なせていた。
また、この病院では過去5年間も動物実験をおこないながら何ひとつ研究報告が書かれていない。実験した犬たちの個体ごとの記録も術後の経過も何ひとつ書かれていない。
ここの研究者たちは「動物の保護及び管理に関する法律」(当時)の存在することさえも知らなかった。
実験犬シロをめぐってはからずも浮上した研究者たちのこのような非人間的な態度、姿勢、モラルはなにもここ東京国立病院に限ったことではない。断片的には内部告発などであちこちから報告されている。
シロ事件は日本の動物実験を取り巻く共通した病弊、病根の、ほんの氷山の一角であることが大きな問題だ。
飼い主は簡単に犬猫を捨てる、行政は飼い主に捨てられた犬猫を安価に研究施設に払い下げる。これらの犬猫は個体差が大きく、病歴なども不明であることから精密な実験には向かない。「雑犬」として単に研究者の手先の訓練や、教育実習用など残酷で無意味な実験に大量に無造作に使い捨てられている…。
雑犬は実験用に重宝といったけど、それはおもに手先の訓練や実習用の、いわば使い捨て用に重宝なのだ。そして安価にいくらでも入手できる。これらの要因がいっそう研究者たちの非人間性、残酷さ、命への無関心を増幅させる側面でもあろう。当時、実験用犬猫の9割は飼い主が捨てた元ペットだったというデータがある。
ともあれ、シロという一匹のみすぼらしい子犬は、先進国の中では異常に遅れていたわが国の動物実験のありかたに一石を投じる生きた証拠となった。
その後のシロの運命と、野上ふさ子さんら保護団体の人たちの運動ぶりは次回に紹介します。
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