【連載コラム】動物実験見聞記(2) AVA-net News No.132
橋爪 竹一郎(宝塚造形芸術大学教授・元朝日新聞論説委員)
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製薬会社研究所の元研究員の懺悔録
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実験犬を逆さ吊りし・脳を取り出し・目をくり抜く?「密室の科学」の闇を照らす内部告発の光
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わが国の動物実験は「密室の科学」だ。内部の関係者だけが事情を知っている。実験の内部資料や仔細はいっさい外部に漏れてこない。研究者たちの実験動物への残酷さは外国からも批判され、やっと法が改正されたが、実質の伴わない取り繕いで、肝心の骨格はいまも変わっていない。そんな陰湿な闇の密室に射しこむ一条の光が、唯一、内部告発といってよい。
前回紹介した関西の名門女子大学のウサギの生体解剖の授業風景を伝える投書は新聞に掲載され、大きな反響を呼んだ。13歳から80歳まで主婦、学生、研究者、動物保護グループ、医師、獣医師らさまざまな立場の人から300通をこえる投書が届いた。いまなお古くて新しい貴重な証言の数々が含まれている。
この中から、製薬会社研究所の元研究員の手記を紹介する。
子どものころから犬や猫が好きで、彼らとの楽しい交流を通じた研究を夢みていた。獣医大学を卒業し、あこがれの研究員になったが、待っていたのは無意味で悲惨な動物実験だった。生活の安定を捨てて35歳のとき退職した。いまは借金に追われながらも町の獣医師として動物を友とする日々をすごしているという。研究員時代の懺悔録であり、同時に、研究所での動物実験の無意味と悲惨を照らし出す一条の光である。
「私は子どものころから犬や猫が好きで、やがて獣医大学に入学。大学では獣医病理学という臨床とはあまり関連のない学問を専攻しました。病気の本質や原因を探るという科学研究分野に興味を持ったからです。先端技術機器に囲まれて、あこがれの研究員として出発できるのだと有頂天になっていましたが、そこで私を待っていたのは研究とは名ばかりの、犬の処分でした。
私が担当した仕事は、ヒトの新薬候補品を犬に投与して、毒性を研究することでした。本来、犬好きの私は、研究用とはいっても従順で人なつっこいビーグル犬に毎日あえることにうれしさを感じていました。ヒトに使われるときとあまり変わらない毒物量を投与してなんらの苦痛なく、健康診断のごとく、尿、血液検査、レントゲン、コンピュータ断層撮影(CT)検査、心電図検査や、せいぜい麻酔下でのバイオプシー検査(吸引針を使って臓器の一部を採取して病理検査する)などをおこなって研究するものと思っていたのです。
ところが、上司から仕事の詳細を聞いて、あるいは強制的にやらされて、がく然としました。『犬が死ぬまでの用量をみつけろ』『研究に使った犬はすべて死んでいなくても、あえて殺して検視解剖しろ』というものだったのです。
死んでもいない犬をどうして殺し、腸をはさみですべて裂くのか!?
本来、獣医病理学とは動物の異常な死の原因究明のために発達してきた学問です。死んでもいない犬を、麻酔をかけながらも、頚動脈を切断して逆さにつるして放血死させて文字どおり体を切り刻む、電動ノコで頭蓋骨をあけて脳を取り出す、目をくりぬく、腸を取り出し、はさみですべて裂く、心臓、肺臓、肝臓、腎臓、脾臓を取り出し、メスで切り裂くーなど。真の学問の冒涜でもあるし、人以外の生命の尊厳の冒涜であると、憤怒を禁じえませんでした。
仕事とはいえ、自分の立場を思ったとき獣医にあるまじき、いや心ある人にあるまじき行為ではないかと思いました。
ヒトへの安全性を見極めるために実際にはほとんどありえない大量の、致死量ほどの薬物量を一度に、あるいは何カ月間にもわたって動物に投与する。
最新の医療検査などで苦痛なく診断が可能であると思われるのに、あえて学問をも冒涜するような殺生検視を義務付けるなど、科学でも何でもない、人間のごう慢さに立脚した、独りよがりの満足にすぎないのでないか。
このようなことに動物を犠牲にしていいのだろうかと思ったのです。
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研究室の日常的風景 脳に電極を差し込まれ、ちょろちょろ歩きする猫
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しかし、当時私にはすでに家族があり、食べていくためには一応名の通った会社をやめるということができませんでした。10年間も働きました。はじめの純粋な気持はだんだん薄れてきて仕事だから仕方がないという感覚になり、しまいには他の研究室での、頭に穴をあけられて電極を差し込まれたままちょろちょろ歩いている猫(薬物の脳への影響を研究している)などをみても日常的な光景とさえ感じられるようになりました。
動物実験に手を染めた10年間を恥じ、抹消したかった!
ところが先ごろ、獣医の友人を訪ね、自分の家族と同じように動物の健康を気遣っている人たち、一心に動物たちの診療に当たっている友人の姿を見て、感動しました。やはり動物たちは人の友なのだ、と。
そのとき、自分のこの10年の仕事は何であったのか。この10年の自分を恥じ、この10年を人生から抹消してしまいたいと思ったのでした。
そして私はやっと決心したのです。もう若くはないし、成功するともおぼつかないことはわかっていましたたが、また、家族の猛反対を受けながらも会社を依願退職し、診療獣医として再出発したのです。
いまは借金に追われながらの苦しい生活ですが、毎日、充実した日を送っています。悔恨の10年を少しでも償うように微力ながら精一杯仕事をさせていただいております。
しかし、悪夢のようなこの体験は決して忘れられないでしょう。私の目の前で犠牲になった多くの実験動物たちがささやいているような気がしてならないのです。『われわれの犠牲をいつまでもあわれまないでくれ、われわれが成仏できないから。しかし、いつまでも忘れないでほしい。いまの君を心の奥で支えているのはわれわれであることを。そしてもうこれ以上われわれの仲間を君たちヒトの犠牲にさせないでくれ!』と」
私は手紙の内容を確かめるために直接、差出人にインタビューした。
「犬が死ぬまでの薬物量を見つけても、まったく人間の役には立たない。わざわざ犬を殺して検視解剖をしても何の意味もない。犬がなぜ死んだのかを突き止めるのがテーマだったのだから。密室での無意味な実験や殺戮が多すぎるのです」と、彼はゆっくりした口調でいった。
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仏の女性研究者が京大霊長類研究所を世界に内部告発
頭蓋骨にホルダーをつけ、7584回手首の運動をしたあと殺されたサルたち
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そのころ私は、現在「動物実験廃止・全国ネットワーク」と「地球生物会議」の代表を務める野上ふさ子さんから、1986年の国際霊長類保護連盟の機関誌を教えてもらった。そこには京大霊長類研究所の実験の様子がつぎのように紹介されていた。
『実験用サルは地下のお墓のように暗い部屋に入れられていた。何年も拘束椅子にくくりつけられ、多くのサルが首やおしりのまわりに潰瘍ができていた。サルには適正な食物や水は与えられていなかった』
『4匹のサル(2匹は実験用、2匹は対照群)はハンドルを動かすことによって手首関節を伸ばしたり曲げたりするよう訓練された。12回動かすごとにサルにはほうびとしてジュース(水)が一滴与えられた。
訓練が終わるとサルは外科手術で頭蓋骨に金属の頭部ホルダーがつけられ、その2,3日後、放射性物質挿入用に管が頚動脈に挿入された。それからサルたちはまた手首の動作をさせられた。
1匹は殺されるまで7584回し、もう1匹は6210回した。実験後は二匹の対照群のサルも殺された。実験の目的ははっきりしなかった。』
この機関誌の記事はなまなましい写真つきで掲載され、国際的にも問題になったという。密室の作業が白日のもとにさらされ、日本の動物実験の倫理のなさ、意味のなさの証拠が突きつけられたのだ。
このできごとを外部に漏らしたのはだれか?
残念ながら日本人の研究者ではなかった。同研究所で働いていたフランスの女性科学者バーナーデッド・ブレサード博士だった。
このような内部告発がない限り、わが国の動物実験の実態はまず外部に漏れてこない仕組みになっている。欧米諸国と異なり、すべて内部で自主的に運営され、国や自治体、動物保護関係者など外部のチェックがまったくない密室の作業だからである。
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市民は何も知らされていない 法規制も監視制度もない日本の惨状を
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欧米諸国の実験動物はさまざまな方法で守られている。例えば実験計画には厳しい事前審査、許可を受けねばならない。欧州諸国では一般に国や自治体が設置した委員会が実験の目的、内容などを審査し、パスした計画を国などが許可する仕組みになっている。
米国では実験する研究機関の責任で委員会を設置、自主的にチェックするが、なれあいや密室的な審査にならないよう研究機関と無縁な第三者である外部の聖職者、法律家、動物保護活動家を加えることが法律でさだめられている。さらに委員会の記録は国などに報告することが義務づけられている。
これらの国では、法律で動物虐待の定義が明確にされているので動物が必要以上に殺されないか、無意味な、目に余る苦痛を受けることはないか、実験の目的は正しいか、目的に沿った実験なのか、などがチェックされる。
それに比べてわが国はどうか。大学などで実験委員会の設置が義務付けられているが、内部関係者だけで構成されているのがふつうで、外部への報告義務はない。
欧米のように実験施設や実験者の国や自治体による許可・登録制もない。施設への立ち入り検査、監視体制もない。誰がどこで何のために、動物を実験し殺したとしても密室内のできごと、外部にはかかわりがないという理屈になる。
だから次号で野上ふさ子さんのあげた具体例を紹介するが、残虐で、アホらしい、バカげた動物実験の例があとを絶たない。どんなにアホな研究だって、一人前の顔をして動物を使い、殺し、まかり通っているのである。
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