【連載コラム】動物実験見聞記(12) AVA-net News No.142
橋爪 竹一郎(宝塚造形芸術大学教授・元朝日新聞論説委員)
|
動物保護運動は革命運動に似ている!
―中野真樹子さんのこと―
この連載の初回に登場した獣医師・中野真樹子さんが本を書いた。まだ読んでいないが、新聞の記事によると『野宿に生きる、人と動物』いう題で駒草出版から出る。東京、大阪の河川敷や公園に捨てられた犬や猫、それを世話するホームレスの人たちと中野さんの物語だ。中野さんはノラたちの病気を治療し、ホームレスの相談にも乗ったりする。寒く貧しくひもじい底辺で暮らす人と動物たちだが、中野さんの温かい笑顔と息吹を思うと、ついほのぼのした光景が浮かんでくる。本の出版を記念して、いまよりちょっとむかし、若い日の中野さんを伝える文章を再録させていただく。新聞コラムに書いたもので正統的な本誌のトーンに似合わないかもしれないが、今回だけは番外編でどうかお許しを。
----------------------------------------------------------------
動物実験・保護に関心を持ったきっかけ
― 医大受験会場に届いた犬の悲鳴―
--------------------------------------------------------
「飢餓、殺戮、内戦、空爆、難民。悲惨な映像やリポートに接しても心に収まるときは結局、一枚の遠い絵になってしまっていることが多い。平和で豊かな日本に住むわたしたちは悲惨をドラマのように鑑賞し消費することはできても、そのあと行動し生産に移すことはできないのだろう。いつか、難民救済で奮闘する評論家の犬養道子さんが、日本人の想像力の欠落、と嘆くのを聞いた。
人から動物へ話は移るが、仙台市に住む中野真樹子さんは5年前、東京の医大を受験した。答案を書いているとき、ただならぬ犬の悲鳴、絶叫を耳にする。試験のあと、会場の周りを探すと、動物実験をしている研究棟があった。立ち入り禁止だ。
試験は不合格だった。浪人を覚悟していたが、それより密室の動物たちの運命が気になってしかたない。
◆サルの頭に鉄の塊、ネコの脳に電極・小さなヒヨコの大きな絶望
内外の資料を取り寄せた。縛りつけた猿の頭に前後から鉄の塊をぶつけて衝撃度をはかる、猫の脳に電極を埋める、涙が出ないウサギの目に有毒液体を注いで目がつぶれるまで化粧品のテストをするーなどなど。
分厚いコンクリートの中で動物たちはどんな目にあっても逃げ場がない、訴えていくところもない、ヒトの言葉も話せない。中野さんの想像がふくらんだ。
◆東京の国際畜産見本市や各地の農場を見学する。
一片の土も太陽もない工場に押し込められた、例えばヒヨコたち。過密状態だと気がたって傷つけ合う。それを避けるためにヒヨコの流れ作業でくちばしを折られていく。おびえて小さな目をつぶるヒヨコ。ときに機械は誤って舌を切り落としてしまうこともある。小さなヒヨコの大きな絶望。
こんな見聞を文とイラストで綴り、これまでに5冊自費出版した。途中から地元の出版社が応援してくれ、しめて6000冊近くが全国に散らばった。いまや中野さんを取り巻く個人シンパは九州から北海道まで500人に広がっている。
この夏、実家から少し離れた農村で野生サルの保護活動に取り組んだ。でも苦心のリンゴがサルの被害にあって悩んでいる農民の姿を知り、アタマで思っているほどたやすくないこともわかった。柔らかな想像力は既成事実の鵜呑みや、ヒステリックな思い込みや、度の過ぎた被害者意識からは生まれない。ヒト、動物を問わず、相手の立場がわかる能力、といってよい。」
----------------------------------------------------------------
蔵王の麓で農民と野生サルの共存を模索
----------------------------------------------------------------
もうひとつのコラムから。
「中野真樹子さんからの便りが届いた。蔵王の山々の南にある宮城県七ケ宿町の野生サル問題に取り組んでいるそうだ。200匹以上が出没し、リンゴなど農作物の被害が深刻だという。
けれどー以前はこうではなかった。町の奥の自然林が健在で、ドングリなどエサがじゅうぶんあった。森はサルの天国だったが、自然林が伐採され、スギの人工林に変わった。エサがなくなり、サルは危険な人里へ出るほかはなくなった。人間に追い出されたのだ。
いや、このサルたちの受難の歴史はもっと古い。先祖は福島県側の森にいた。それがリゾート開発で追われ、県境の山を越えて宮城県側に移り住み、いままた新たな危機にさらされている。サルたちは内戦の銃撃戦や空爆に巻き込まれたウシたちと同様に、なぜ自分らがこうした運命をたどるのかよくわからないはずだ。
そうはいっても、農民たちもまた被害者なのだ。農民とサルが敵対者として向かい合うのはいかにも悲しい、と中野さんは共存の道を模索している。
各地のサル問題の情報を集める一方で、昨年夏、地元に廃屋を借りた。頭で考えるだけでなく、現場を肌で知ろうという試みだ。呼びかけに応じて全国から延べ40人の若者がこの基地にやってきた。
うれしいことに農民のなかにも中野さんらの運動やサルの立場に理解を示す協力者もいる。春から中野さんらは畑を借り、具体的な農作業を通じてサルとの共存を考えていく。『ここは日本のほんの片隅だけど、ここを治すことが地球を治すことに通じる』と信じているそうだ。アルバイトをしながら動物保護の本を書いたり、自費で活動報告<ひげとしっぽ通信>を出している。」
----------------------------------------------------------------
ロマンと優しさだけではもたない動物保護
----------------------------------------------------------------
この時期、私はかつての「動物実験の廃止を求める会」のリーダー、野上ふさ子さんらに感化されて動物保護や動物実験に関心を持ち始めていた。取材し記事を書いた。社内外でそれなりに反響もあり、初めて動物実験を社説に取り上げたこともある。達成感があった。一方で毎晩、自宅近くの川のほとりでノラ猫たちにエサやりを続けた。ネコたちは時間、場所を心得ていて、私を待ってくれている。月夜の晩など「どんなご縁で私とネコたちはここに遭遇しているのだろうか」みたいなロマンチックな気分にもなった。
しかし、そんな悠長なムードはすぐに消えた。ノラ猫はつぎつぎ増える、それにつれて増える住民とのトラブル。ノラのえさやりをした人ならだれもが経験するおなじみの図式だ。住民の声はさまざまだった。「警察を呼びますよ」「子どもが汚れるから、この街からノラ猫を1匹残らず追い払う」「わが家は犬を飼っている。犬は大好きだが、猫は見るのも嫌い!」「そんなにノラが好きなら家にお持ち帰りください」
こちらもむかむかして自分から110番にかけて、かけつけた警官とパトカー内で動物保護を怒鳴りあったりした。
ボランティアの人たちに手伝ってもらって避妊手術のための捕獲作戦をした。自分で引き取ったのもある。しかし、ノラ猫はふえるばかりだ。ひとつひとつ命を輝かせているカレらをどうすればいいのだろう。
ある会合に出席した。しっかり者風のおばさんが力説する。「ノラ猫は天文学的に増え続ける。いくら避妊しても、飼い主を探しても限度がある。実験動物の予備軍を量産しているようなもの。安楽死させるのがいちばん。私が腕の中でやさしく安楽死を請け負ってあげる。持って来てほしい」
なるほどと思った。しかし、その帰り道、「あの人はじつはノラ猫を集めて動物実験用に横流ししているといううわさを聞いたわ」とひそひそ話が聞こえてきた。そういえばおばさんの口調は慣れていた。いったいどっちが本当なのだろう。
----------------------------------------------------------------
自分ではなにもしない、動物愛護気取り
----------------------------------------------------------------
別の会合では、自分は飼わないで、ボランティアの人たちの家にダンボール箱いっぱいの子猫を送りつける動物愛護気取りの人たちのことが話題になった。「ノラ犬が車にひかれた!治療してあげて」と獣医に通報してくるケースも多いという。動物はかわいそう、でも自分は世話はしないというはた迷惑な保護活動家がけっこういるのだ。
私たちの社会は人間が主人公だ。人間でない動物たちには何の権利も駆け込み寺も警察も裁判所もない。そんなルールの中で保護活動家のみなさんは無力な動物たちを守る孤独な戦いを続けている。新しい価値観を目指す、それこそ革命ではないか。心底そう思った。
ほとほと疲れてきた。自分はノイローゼじゃないのか。どんより重苦しい日々。そんなある1日の出来事を新聞コラムに書いた。
「その日はなんだか心にひっかかる1日だった。
朝。出勤のとき、子猫たちがビニール袋のごみをあさっている。『またか』と心がくもる。このあたりはよほど猫が捨てやすいのか、定期的に子猫がたむろしている。やがてカレらは一定の段取りをへて姿を消す。
まずエサをやる人が出てくる。しばらくは楽しげな幼年期が保証される。そのうち、水をかける人が登場し、いつの間にかどこかへ処分されていく。2年ほど前までは『エサをやるな』『捨てた人間が悪い、猫に罪はない』の張り紙合戦もみられた。
祝福されない生を受けたカレらの運命は決まっている。路上での凍死、餓え死に、ガス室で悶死、または脳に電極を組み込まれたり、手足を切り刻まれたりの実験動物になって、この世を去る。いま目の前でじゃれあっている子猫たちも同じようにサヨナラしていくのだろう。
昼。女性読者からのお便りが届く。高校の教員だが、難病のため、休職中という。
《ある老いた野良猫に6年間不定期にエサを与えてきた。近所からうるさく言われ、最近エサを食べにきたところをだましてつかまえ、捨ててきた。猫はすっかりやせ衰えていた。猫がいなくなってみると、これまで私が猫を育てていると思っていたが、私のほうが猫に慰められていたのだと気付いた。
ある夏、この猫から何匹かの子猫が生まれたが、飢えと猛暑でひからびて死んでいるのを目撃したこともあった。明日の命のわからない猫でも今日をやっぱり淡々と生きている。私もあまりくよくよせずに今日を生きてみることにしよう……》」
それから間もなく私は動物保護・動物実験から逃げ出したのだった。ほんの入り口をのぞいただけで、革命運動から早くも脱落した。この間の事情は本連載10回を参照してください。
20年近い歳月が流れている。中野さんはあれからずっとノラや動物実験と関わってきたのか。自費で東京、大阪を往来し、無料治療を続ける中野さんはほかの獣医さんよりきっと財布は豊かでないだろう。いろいろな辛苦とハンディに耐えているだろう。それでもいまも二十歳のころ踏み出した革命戦線にとどまっているのか、あのころの笑顔は変わっただろうか。ふとそんな感慨がよぎる。
|