【連載コラム】動物実験見聞記(5) AVA-net News No.135
橋爪 竹一郎(宝塚造形芸術大学教授・元朝日新聞論説委員)
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動物擁護派の良心的教授の絶叫!
私は神様だ、神様っていいものじゃない!
国立大学医学部の真新しい研究所でA教授は匿名を条件に快く、にこやかに取材に応じてくれた。
―日本は動物実験を規制する法律がありません。野放しです。だから欧米の会社で日本に研究所を設立するケースが目立っていると聞きますが?
「欧米の製薬会社が最近日本に研究機関を設立しているのは、自国では法規制が厳しく動物実験が難しいからという面も確かにある。日本は動物実験天国といわれた時代があったのは事実だ」とAさんは率直に答えた。
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部外者のチェックを受けるのもいいね
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また、わが国の研究者について、「動物福祉の精神に富んだ研究者ばかりとはいえないことは事実だ。かなり個人差はある。いつの間にか研究者の感覚が麻痺してしまっているケースもあるだろう。部外者のチェックを受けるのもいいかもしれない。研究に支障が出ない範囲でね」ともいった。
このあたりまで歯切れのよい口調がポンポン続いたが、いちいちメモをとる私になんだか不安になったようだ。だんだんと口調がその他大勢の研究者サイドに傾いてくる。なにを書かれるかわからない、という懸念が頭をもたげてくるのだろう。取材する側としてはよく経験することだ。国家公務員としてのAさんの立場は理解できる。
「日本もだんだん改善されつつあるのですよ。それにね、欧米のように規制が強すぎるのも問題だ。動物実験には金と手間が要る。わずらわしい。微妙な数値を求められる研究で動物を使った実験は難儀なことが多い。
研究者は、できればコンピュータで代用したいと願っている。そのほうがよほど楽で効率的でもあるのだ。だが、人間の生体実験ができない以上、動物に頼るほかはないケースがあることを知ってほしい」
―けれど、だからといって、動物に何をしてもいいということにならないのでは? どこかで歯止めが必要ではありませんか。
「あなたたちは現代医学の恩恵を受けるのを拒む覚悟があるか!
実験を全面廃止せよ、と主張する団体の人に聞きたい。あなた自身は現代医学の恩恵を拒む覚悟があるのか?と。
ほかに方法がないから、わが研究機関では倫理性、安全性、科学性を考慮して動物実験をしている。人と動物のどちらの救済を優先するかの選択の問題なのだ」
だんだんAさんの口調が高揚してくるのがわかった。
一般に動物実験の関係者の発言はタテマエで塗り固められて隙間がない。100%正義の仮面をかぶっている。なにしろ、密室の作業だから第三者には突っ込むデータが皆無だ。だからいつも彼らは正しい。内部告発で闇が照らされて、初めて残虐非道の実態が表面化するのだ。
そんな中で、A教授は動物保護の活動家の間でも良心的な学者、で通っている。研究者側に不利と思われるホンネをいろんな会合で打ち明けている。数少ない動物擁護派、動物の味方、貴重な人材だ。それなのにとうとうその大事な人を私は怒らせてしまった。いま思い出しても忸怩(じくじ)とした気持ちに沈む。インタビューの顛末。
―われわれは人間で、動物になりきれないからよくわかりませんが、動物に苦痛がないとは考えられませんねえ。
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飼い主の強すぎる感情移入も問題だ!
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これに対してA教授は答えた。
「私が接したすべての実験動物たちは程度の差はあっても苦痛を感じていたと思う。が、例えばペットの飼い主にみられるように動物への感情移入が強すぎるのも混乱を招く。
うみ(膿)で汚れた自分の動物を見て重度の苦痛を伴う病気に違いないと思い込んでいる場合、汚れた毛を刈り取るだけで飼い主の精神的動揺が解決することが多い。
飼い主が感じる苦痛の中には感情移入に基づくものも多い。獣医学的に見て誤った知識や誤解があるのだ」
これは私もよくわかる。動物の保護・福祉活動をしている人には、思い込みや感情のあふれすぎるケースをよくみかける。話の真偽を確かめることもせず、又聞きしただけで、「わー、かわいそう」、と身をよじる心優しい人たちがわんさと控えているのはたしかだ。
動物の血や膿にまみれた毛をみると重傷とおおげさに思い込んでしまう性癖は恥ずかしながら、私にもある。専門的な獣医学の無知が、動物への感情移入を増幅させている事実は素直に認めねばならないと思う。
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動物実験の専属職員の不足も大きい
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―動物実験について、先ほど言われた部外者のチェックはどの範囲まで可能でしょうか。
「問題は部外者との対応に時間をとられることだ。査察制度の発達している欧米では査察官の立ち入り検査に備え、専属の係員がいる。わが国ではとてもそんな予算は認められないだろう」
例えば、Aさんの職場は国立の一流の施設だが、動物の世話や実験の準備をする正規の職員はきわめて少ない。「動物を犠牲にした貴重な実験を実りあるものにするためにも、日ごろの動物の扱いは重要だ。現実には多忙な研究者が時間をさいて世話している」と嘆いた。
多くの動物保護団体は施設の公開は難しいとしても、当面はせめて欧米並みに部外者を加えた実験の事前審議会制度や施設の登録制を広めたいと要求している。これについて、実験動物研究の世界でボスといわれる先述の安東潔さんなどは「動物への行き過ぎた感情移入が科学の進歩を妨げる」と強調している。
―これについてAさんのご意見は?
「事前審議会制度などの安易な実施には二つの問題点がある。第一はそれが免罪符になって、実質的な動物福祉の向上に役立たず、形式面だけの重視につながりはしないか。第二は研究者が煩雑な手続きに終われ、科学の進歩を妨げる結果にならないか。欧米では動物保護運動のために実験がまったくできないところもある。何も欧米をまねることはない。われわれは動物実験のもたらす成果とのバランスでものごとを進めていく必要がある。」
少しずつAさんのトーンが落ちているのに私はいらついてきた。
「シンポジウムのAさんは斬新にみえた。けれど、こうして話してみると、だんだん調子が落ちてくる感じ。結局は研究者大勢と同じゴールに到着するのでないか。言い回しは違っても、なーんだ、同じことだったのか」
そんな思いを率直に私はAさんに告げてしまった。同じ動物側に立つ仲間としての親近感があったのかもしれない。私の話を聞くや、突然、Aさんは立ち上がり、両手をぐるぐる回して叫びだした。
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病気の子どものためなら、動物の百匹や千匹、どうなってもいい!!
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「当たり前だ、そんなこと当たり前じゃないか。君の子どもが病気だったらどうする。私の子どもは病気だ。動物の百匹や千匹、どうなってもいいのだ。いくらでも殺してやるぞ。そんなの平気だ。私だって、私だって」。
一体何が起こったのか。私は茫然としていた。ほどなくAさんもわれにかえったように黙然と力なく椅子に座りこんだ。
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私の指先ひとつで、天国と地獄、運命のわかれる実験動物たち
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それからAさんはうってかわった静かな口調で、「うん、私も動物たちをかわいそうに思うよ。でも、これは運命だな。モルモットなんかでも、2つに分けるのだ、実験するグループと、しない対照群とにね。一方は地獄、一方は天国だ。はい、お前はテンゴク行き、はい、お前はかわいそうだがジゴク行き、と唄を歌うようにして仕分けしていくんだ。私の指先ひとつでモルモットの行き先が天と地になる。運命の分かれ道だよ。私は神様だ。神様っていいものじゃない。でも仕方ない。そのうち神様業に慣れてしまう。考えてみれば、人間だってモルモットと同じじゃないか。みんな運命なんだよ…」
私はAさんと少し気まずく別れた。その後、動物保護団体の何人かに聞いたが、Aさんはかねて「職場への気兼ねと良心との板ばさみでご自分もつらい立場なのよ」ということらしかった。
動物実験はいまのままでいいのだろうか。国際世論を背景に密室主義、残酷、無法ゾーンと決め付ける保護団体に対し、「科学・医学の進歩のために」を切り札に運動の情緒過剰をなじる研究者サイド。双方のギャップはあまりに大きい。どこかに妥協点はないものか?
頭に浮かんだのが、実験動物の福祉に最も良心的に、積極的に取り組んでいるとされる慶応大学医学部の前島一淑教授である。前島教授は、実験動物の苦痛を初めてとりあげた第33回実験動物学会総会の冒頭、つぎのような挨拶をしている。
「このシンポジウムの特色は国語の専門家、臨床獣医師、動物福祉活動家の立場からも動物の苦痛を説明してもらうことだ。それは実験動物に対する批判が生物学、医学の視点から提出されたものでなくて、一般社会から出てきたためである。われわれ研究者は今後、一般の人々に通じる言葉で動物に苦痛を与えない実験を意図していることを社会に示さなければならない」。
研究者サイドから初めて公式に表明された実験動物の福祉への理解ある歴史的なスピーチといってよいだろう。この前島先生に取材を通じて感じた私の疑問・問題点を率直にぶつけてみよう。
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