Q9
人間は動物を犠牲にしなければ生きていけないのだから、実験だけを取り上げて反対するのはおかしいのでは?
A9
確かに私たちの生活が多くの動物を犠牲にしているのは事実です。
しかし、それだからといって、人間が動物をやみくもに殺したり、好き勝手に虐待していも良いということにはなりません。特に動物実験については単なる動物虐待にとどまらず、多くの医学的、科学的な誤ちが指摘されており、その弊害が私たち人間自身にもはねかえって来ている点をも考慮しなくてはなりません。動物実験のデータが本当に人間に適用できるのか、動物実験を行ったから安全だなどと本当にいえるのか、医療従事者や企業の単なる責任逃れの言い訳に利用されているだけではないのか、一般市民である私たち自身が自分の問題として捉える必要があるのではないでしょうか。
また、動物を犠牲にするライフスタイルが私たちの感覚や感性、あるいは価値観まで悪影響を及ぼしているのではないかということも改めて考え直してみる必要があると思います。以下、松本梶丸著「いのちの見えるとき」からの抜粋ですが御参照ください。
「日本人が一年に食べる鶏は、七億羽を超えるという。その85%がブロイラーだと言われている。あるグラフ雑誌のグラビアは、人間至上主義にたった人間の極まりなき残酷さと奢りを象徴するものであった。
そこには、鶏もひとつの命をもった生きものだという感情は微量もない。ブロイラー用の鶏の平均寿命は63日、それ以上は餌をやっても太らないからだという。ほぼ、真っ暗な中で、畳1畳ほどのところに46羽の鶏がつめこまれ、人間の食料としてひたすら肥育されるという。そこで肥育される鶏には、もはや養殖などという暖かい言葉すら死語になってしまった。成長して肥育場から処理場へ運ばれるとき、わずかな板戸のすきまから、はじめてみる陽光に眼をほそめるという。
あらゆる命の犠牲の上にもたれているのが、われら人間のいのちであろう。しかし、そのいのちに対する、痛みや悲しみや、おそれを失ったとき、実は人間みずから、人間としてのいのちもまた見えなくなっているときではないか。」
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