Q2
動物実験は人間の役に立っているのに、それを止めろなんて言えないのではないでしょうか?
A2
まずその前に、
(1)動物実験は具体的にどのような意味で人間の役に立っているのか
(2)もし役に立っているならば、その時は動物に対してどんな残虐行為をしても許されるのか
ということを考えてみたいと思います。
(1)本当に「役に立って」いるのか?
「役に立つ」とは、誰にとって、どのような意味で役に立つのでしょうか?実際に動物実験を行っている研究者が「私は無意味で役にも立たない実験を行っている」と言うはずがありません。その人は、実験を職業とし、研究発表をし、地位を得ているからです。また、自分の研究がいかに有益であるかを主張し、政府や企業から助成金を受け取ってもいます。
しばしば、動物実験は人間の安全性を守っているとか、難病の患者を治すのだとかいう大義名分が持ち出されてきますが、では具体的に、どの実験がどのような場面で、どのような人々を救っているのかということになると、直接的にはほとんど見えてきません。
私たちの側からすれば、その実験は論文作成のため、臨床と結びつかない研究のための研究、科学的装いを凝らすためのデータ作り、としか見えないものがどんなに多いことでしょう。
こう言うと、今度は「科学は真理を探求するもので、役に立つかどうかは関係ない」という反論が出てきます。けれども、もしそうならば、その研究費はすべて自費でまかなっていただきたい、莫大な税金を乱費してほしくはないと考えます。
(2)「役に立つ」なら何をしてもよいのか?
どんなに実験研究が有益で「役に立っている」としても、人間としてやってはいけない行為というものがあります。動物実験は人体実験の代わりですから、動物よりは人間を使った方がずっと確かなデータが得られます。けれども、現在、ナチスや731部隊が行ったような人体実験がどんなに医学研究に有益であったとしても、人道的には決して許されません。痛みや苦しみを感受する動物についても同様です。
特に、生命を取り扱う研究は、密室の中で行われるべきではありません。まず情報が市民に公開され論議され、研究と利害関係のない第三者機関や一般市民による監視が行われることが、必要不可欠です。
このように、1.動物実験の是非について論じるための前提としての情報公開、2.また役に立つとしてもやってはいけない基準についての社会的論議、というものを、私たちは求めていきたいと思います。
(野上ふさ子)
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