動物実験反対への誤解
今回の動物愛護法再改正では、またしても実験施設への法的規制は叶うことができませんでした。その厚い壁を破ることができなかったのは、実験側の俗に言う反対勢力の強さもさることながら、実験動物を救いたいという世論の盛り上がりも少々欠けたように思われます。
ではなぜ盛り上がりに欠けたのでしょうか? 私は動物を救いたいと思う人々の病気に対する不安や、医療を受けることへの誤解にも一因があるのではと考えています。
というのも、動物実験を議論する掲示板で、「動物実験に反対するなら医療を受けるのは矛盾だ。恩恵を受けているのに反対するな!」というような反論が見られます。医療を受けれ
ば、動物実験に反対できないのでしょうか? それならば、動物実験の経験のある医師や獣医師は、動物実験に反対を唱えてはいけないのでしょうか?
そんな事は決してありません。大切なことは、私たちは医療や医薬を全面否定しているのではなく、動物の犠牲に上に成り立つシステムの改善を求めていくのだ、というこの点をしっかり理解しなければならないと思います。
代替医療は国をも救う
致死量実験を必要とするものは、例え動物で安全だと証明されても、それは必ず人間にそのまま当てはまらないことは、会員の皆さんは百も承知しているでしょう。動物間同士でも個体差が生じているように、私たち人間では、毒性による感受性の個人差は更に顕著に出てきます。今問題になっているアスベストのニュースが伝えているように、中皮腫になるのは、吸い込んだ年数や量ではないといっていますが、同様のことは毒性テストにもいえるのです。また、実験施設への査察制度や監視制度を求め、医療や医学実験、そして動物の犠牲を強いる開発研究方法の改善を求めることは、膨大な赤字に苦しむ医療保険の節約にもなれば、全人的医療としての代替医療の発展にも繋がります。アメリカでは既に代替医療として、伝承医学の推奨を国が率先し、癌患者は減少傾向にあるのです。日本でも臨床の場で西洋医学に限界を感じている多くの医師や歯科医師は、東洋医学を始めとする伝承医学を導入してきています。更に集団検診による癌の早期発見も含めた予防医療は無効であるとして、市民の集団検診を中止した行政もあります。安易な保険医療への依存は、国すらも滅ぼしかねません。
命に優しい医療は人にも優しい
実験を擁護する掲示板などの暴言によって、医療にかかることに後ろめたさを感じたり、あるいは家族が大病をして助かったとき、それは動物の犠牲のお陰で助かったのだと勘違いをしてしまう人がいます。悲惨な動物を思う余り、自分が病気になったとき、病院に行くことを躊躇してしまう人もいます。それはまるで胡散臭いどこかの新興宗教の教義に従う無知な宗徒と何ら変わらない行為です。そうではなく、私たちは命に優しい医療を、データを見るだけではなく、患者個人を診る治療をして欲しいのだと、堂々と胸を張って要望していくべきなのです。医療技術の最終成果はやはり臨床に尽きます。それを考えると、無駄な小手先技術習得のための動物実験は、1日も早く止めるべきだと思います。
病を恐れない
テレビなどの情報に煽られて、病気を恐れる余り、安易に必要のない医療や医薬に頼ることも慎むべきです。人間には本来自分で治せる治癒力が存在します。
その治癒力を最大にのばせる方法として、今回から1年を通して、当院独自の治療法や鍼灸治療、ヨーガの効用なども含め、皆さんに少しでもお役に立てる情報を投稿していきたいと思っています。
この11年間多くの患者さんと接して思うことは、決して「健康オタク」になってはいけないのだということです。西洋薬がダメならと、漢方薬や生薬、あるいは様々なサプリメントやビタミン剤を大量に摂取する人がありますが、その効能を謳うために動物実験をしているものもあります。またビタミン剤などの取り過ぎで肝臓障害を発症している人も多々あります。
「病は気から」という言葉どおり、東洋医学の五行説では、恐れの感情は腎を破るとあります。不安に思うことがストレスになり、腎臓や副腎を弱め、その相克関係にある心臓にも負担が掛かり、様々な病気を作り上げてしまうのです。
病を防ぐ簡単な免疫強化法は、正しい姿勢と呼吸法なのです。激しいスポーツやウォーキングの必要もありません。ただ両足の親指を揃え、顎をひいて両肩を下げ、真っ直ぐに立つことです。ヨーガではこの姿勢を「山のポーズ」といいますが、背筋を正すことは気を充実させるためにも必要なことです。鏡の前で両肩や顔の左右に歪みがないか確認しながら、是非やってみて下さい。東洋医学は全身の観察を重視する医療です。西洋医学の様に病名重視ではなく、体質重視の医療だということもできます。自分自身の体質、体癖、更には思考の癖を知ることも、病を防ぐ大きな手がかりになります。
第2回へつづく