相違点と類似点:
遺伝子を99パーセント共有していることが
なぜ充分でないのか
AVA-net News No.94 (2002.9-10)
翻訳:宮路
レイ・グリーク医師(MD)−医学進歩を目指すアメリカ人の会(AFMA)会長、医学進歩を目指すヨーロッパ人の会(EFMA)医療ディレクター、全米動物実験反対協会(NAVS)科学顧問最近、関連性のある3つの事柄が、科学誌および一般紙に取り上げられた。これらは(1)人間とマウスのゲノムにおける類似性、(2)特定の薬について動物実験の結果のみで市販許可を与えるという米食品医薬品局(FDA)の決定、および(3)チンパンジーと人間の類似性、である。
1.マウスゲノムとヒトゲノム
(サイエンス誌 296、p1661を参照)
ニューサイエンティスト誌(5月30日付け New Scientist.com ニュースサービス)によれば、「マウスと人は、有効遺伝子の約97.5パーセントを共有しており、これはチンパンジーと人が共有している量よりわずか1パーセント少ないだけだ。この数字は、マウスの16番染色体と人間のDNAを比較解析して突き止められた。これまでマウスと人間のゲノムの差は15パーセント程度だといわれていた」という。この発見は、マウス、特にGMマウス(遺伝子操作されたマウス)が人間の疾病モデルとしてどの程度有効に機能するかについて数多くの推測を引き起こした。
私や他の科学者(LaFollette、Shank著“Brute Science,Dilemmas
of Animal Experimentations”、Routledge 1996 を参照
)は、これまでにも調節遺伝子における差異が構造遺伝子における類似性よりはるかに重要であると述べており、他の研究者もこれには同意している。再びニューサイエンティスト誌を引用すれば「イギリス、ケンブリッジにあるサンガー研究所のゲノム分析担当主任ティム・ハバードは、2.5パーセントの差がそれほどたいしたことなのか懐疑的である。ハバードは、実際のところ異なる種の遺伝子がすべて一致し、ひとつの種が別の種と異なるのは他の遺伝子を作動させたり停止させたりする「調節区域」の違いだけによる可能性もあると考えている。」
他の動物と人間のゲノムとの類似点について、これからさらに多くのレポートを読むであろうことは確かだが、これらの類似点は構造遺伝子がどのように調節されているかについての知識がなければ無意味であるということを心に留めておく必要がある。ゲノムの98%あるいは99%を共有しているから、その動物が人間の疾病および薬物反応を研究するためのモデルに適しているという結論を下すのは、その意図があるにしろないにしろ、基礎生物学に対する無知を露見させることになる。
2.臨床試験なしに市場に出まわる新薬
マウスのゲノムに関するニュースとほぼ同時期に、FDAが、特定の薬については、臨床試験なしに動物実験の結果のみで市販を許可すると発表した。(5月31日付けニューヨークタイムズ紙参照)。
ニューヨークタイムズ紙によれば、「FDAは長年の手順を廃止し、生物兵器、化学兵器、核兵器を使用したテロに対処する目的で開発された薬品やワクチンはその有効性を証明するための臨床試験を省いて認可を与えることになった…新規則では、臨床試験の実施が倫理的に不可能である場合、動物実験のデータを有効性の証明とみなす…FDAは動物実験では有効とされた多くの薬品が人間には有効でないことから、動物実験のみで薬品を承認する危険性は認識している…製薬業界最大の通商団体、米国医薬品研究製造業者協会
(PhRMA)の生物医学準備担当主任でもあるフリードマン博士は、新規則が対テロ用薬品開発を促進するだろうが、すべての問題を解決するわけではないと述べている。ひとつには、致死剤の動物実験を行なっている実験施設の中にはは長い順番待ちリストができているところもあり、また、実験に使用できる動物が存在しない生化学的薬剤もある…米陸軍のメリーランド、フォート・デトリックにある研究所の前司令官ベイリーによれば、もうひとつの問題はそのような実験に使用できる実験用サルの不足であるが、こちらについては政府が今取り組もうとしている。」
これはほんとうにアメリカ人にとって最良の策なのだろうか。
製薬・動物実験業界に関わる大勢の人間が、最小限の、あるいはまったく臨床試験を行なわずに新薬を製品化できるというこのFDAの決定を聞いて大喜びしたのは驚くことではない。多くの薬が動物実験では成功し、臨床試験で失敗している。最終的に市場から回収された薬品ですら製薬会社に利益をもたらすのが普通であることを考えれば、開発した薬はその有効性や副作用の程度がどうであろうと、出来るだけ早く市場に出すほうが会社の利益になる。臨床試験を省略することは、人間にとっては危険だが、製薬産業にとっては利益が増すということだ。動物実験には、薬に対する人間の反応を予測できないという長い歴史がある。動物モデルが信頼できるものと主張する理由は同情心や科学ではなく、利益でしかない。
3.動物の権利
3つ目の興味深いニュースは弁護士スティーブン・M・ワイズの本の出版だ。(Drawing the
Line: Science and the Case for Animal Rights; Perseus
Books 2002)
この本は、出版以来、特にチンパンジーと私たちとの類似点について、多くの発言を促している。(2002年6月12日付ウォール・ストリート・ジャーナル、"The
Law of the Jungle" :A18 ページ参照 ) 動物と人間は、自分にとって興味のある生活を送る、理論的に考える、苦痛を感じる、学習する、などの共通する行動的認知的特徴を持っているのだとワイズ氏はいう。この本は私たちの本とは正反対のこと−一方は異種間の類似点を指摘し、もう一方は相違点を指摘している−を述べているという意見がある。私たちが書いた"Specious
Science: How Genetics and Evolution Reveal Why
Medical Research on Animals Harms Humans"
(「もっともらしい科学:動物医学実験が人間に害であるということを遺伝学と進化論がどのように暴いているか」)ContinuumInt.
Pub. 2002) のなかでジーン・グリーク獣医師と私は、動物実験は人間の疾病の治療につながると長い間信じられてきたが、異種間の遺伝子レベルにおけるごくわずかな差異がこの考えを無効にするものであることを、どうして現代進化生物学が予測し、現代分子生物学が確認することになるのかについて説明している。
私たちが本中で説明している事実は、ワイズ氏が示している事実と矛盾していない。大ざっぱにいえば、すべての動物には共通点がある。例えば、チンパンジー、イルカ、その他の動物は心臓、免疫系システム、脳を持っている。ワイズ氏が指摘するように、これらの類似点の結果として、人間以外の動物の中には、人間が重要であると考える生活の側面を経験する能力を持つものがいる。人間以外の動物が心を持っていることを否定するのは非科学的だ。動物の心の存在を否定すると人間社会でどういうことが起こるか、ワイズ氏は著書にそれを詳述している。
FMAは動物の権利や福祉については何の見解も持っておらず、ワイズ氏の見解については、彼の本に対して科学的視点からの批判はひとつもないと述べる以外、何の意見もない。AFMAは、様々な社会的・倫理的見解を持つ、医療専門家、科学者などで構成されており、メンバーに共通しているのは、科学と科学的研究法に対する知識があり、科学が動物実験を必要とするレベルをすでに超えてしまったことを認識していることだ。歴史上、科学が解剖と生理学に関してほんのわずかしか知らなかった時は、動物実験によって種の間の類似点を発見することもできた。しかし、今日、私たちは、それぞれの種に限定されたレベルにおける疾病を研究しており、動物モデルが研究者を誤った結論へ導き、人間が被害を受ける結果となるのは驚くことではない。医学的にいうと、種における違いは顕微鏡でしか見えないほど微細なレベルのものであり、このレベルがまさに現代の薬学が立ち入ろうとしているところだ。一方、権利とは、それよりもずっと大きく、肉眼で見えるレベル、精神的行動的性質のレベルで生じるものだ。残酷さや苦痛に対する心理学的感受性の動物モデルとしては、チンパンジーはかなり優秀であるだろうが、人間の疾病の化学的性質を究明するための動物モデルとしては決定的に不十分であることが分かっている。
次にあげる事柄が、ワイズ氏と私たちの視点との違いについて最良の説明をしてくれるだろう。FDAが1998年から2001年の間に回収した薬のうちの8つは、主に女性に副作用が表れた。男性と女性の間には多くの共通点がある。様々な器官、免疫系システム、考えや理論を組み立てる能力などだ。このような類似性は、ワイズ氏が検討する肉眼で見える世界に存在する。しかし、男性と女性の間に存在するすべての類似点にもかかわらず、FDAが回収した薬品はそれぞれの体内において、分子レベルでまったく異なる作用を及ぼした。そして科学に基づく医学が検討するのはこの部分なのだ。
結論
ティム・ハバードがニューサイエンティスト誌の記事で指摘しているように、たとえすべての動物がその構造遺伝子の100%を共有していても、調節遺伝子のみで人間は人間となり、マウスはマウスとなる。人間の薬品に対する反応や人間の疾病のメカニズムを予測するためにマウスあるいは他の動物を使用することは非現実的だ。これらに照らして考えると、動物実験のみで製品化された人間用医薬品を市場に出すことは、合法化され、経済的利益の高いロシアン・ルーレットに等しい。私たちが本の中で焦点を当てているのは、分子レベルにおける生命であり、ワイズ氏が本の中で焦点を当てているのは、認知や行動のレベルである。私たちとワイズ氏が正反対のことを述べているというのは正確ではない。
生活の手段として、遺伝子組み換えマウスを販売する業者や動物モデルを用いた実験をもとに薬品開発を行う人間は、この肉眼レベル/行動と顕微鏡レベル/構造という生命の2つの側面について一般市民を混乱させようとしている。そうすることによって、彼らは経済的に最大の利益を得ることができるからだ。
一方、私たちは、AIDS、心臓病、ガン、アルツハイマー病、多発性硬化症、その他の人類を蝕んでいる未知の病に対する治療法および治療の開発に関心がある。進化論、そして分子生物学の発展が引き出した結果を認めなければいけない時期に来ている。
(医学進歩を目指すアメリカ人の会(AFMA)会報
The Advocate, 2002年夏号)
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