【イギリス】
「培養皿の中」の統合失調症
AVA-net 海外 ニュース No.149 2011-7-8 翻訳:宮路正子
患者から細胞の提供を受け、精神疾患のモデル作りという難しい挑戦に乗り出す研究者たち
ある統合失調症の匿名男性は、22歳で自らの命を断つ前に、研究のためにと自分の皮膚細胞の生体組織を寄付していた。この細胞はニューロンとして再生され、彼が幼い頃から苦しんでいた疾病について神経科学研究者が解明する助けとなるかもしれない。
この男性や他の患者の細胞を使った実験についての論文が、今日のネイチャー誌に発表された。(1)これらの実験は、これから確実に増えるであろう培養皿の中の精神疾患に関する最初のものだ。これらの細胞は、患者の皮膚細胞を胚細胞のように機能するよう再プログラミングし、どのような種類の組織にも再生するように作られている。
このような細胞を使用して統合失調症や双極性障害のような神経精神疾患を再現するのは大変なチャレンジだ。科学者には精神疾患の根本的な生物学的基礎が分かっていないし、症状は患者によって異なる。そして、精神病理学の疾病は遺伝的要素に強く影響されるが、発症の確率をほんの少しでも解明する遺伝子の多くは、特定するのが恐ろしく困難であることが分かっている。
「私たちはみんな、患者さんにこう聞かれます、いつ、私の幹細胞を手に入れて統合失調症を治せるのですか、と。でも、それほど簡単なことではありません」と、ラッセル・マーゴリス博士はいう。マーゴリス博士は米メリーランド、ボルティモアにあるジョンズ・ホプキンス大学の、精神科医で神経遺伝学者だが、この研究には関わっていない。「それは謎に対する答えではなく、もうひとつ断片が追加されただけなのです。」
調合のレシピ
胚細胞のような性質を持つようにヒト細胞を再プログラミングするために、特定の遺伝子を調合したものを使用することができると報告されて以来、(2)、(3)科学者はこれらの“人工多能性幹細胞”(iPSC細胞)をさまざまな種類の細胞に分化する方法を見つけ、疾病でどのような症状が起こるかを再現するために使用してきた。これまでのところ、症例のまれな心臓疾患(4)、(5)や遺伝性の血液疾患など、(6)約1ダースほどの疾病モデルがiPSC細胞から作られている。
米カリフォルニア州サンディエゴのソーク生物学研究所の神経科学者フレッド・ゲイジらの研究チームは、前述の22歳の男性の細胞からiPS細胞モデルを作成した。また、2組の兄弟のものも作成したが、提供者は全員、統合失調症やそれに関連する統合失調性感情障害などの症状を抱えていた。
iPS細胞をニューロンに変えたとき、患者からの細胞は、精神障害を持たない人からのニューロンと比べて、同じ培養皿にある他のニューロンとの結合、あるいは対合(シナプシス)が少ないことに研究者は気付いた。しかし、実験では、患者のニューロンは、正常なニューロンと同じように電気パルスを伝導させた。
興味深いことに、統合失調症の治療に使用される抗精神病薬のロキサピンは、患者からのニューロンが形成するシナプシスの数を、正常なレベルまで引き上げた。
他の4つの抗精神病薬は一貫した効果を示さなかったが、すべての薬が、少なくともひとりの患者からの細胞で効果があったとゲイジは報告している。また、チームは健康な人々の統合失調症の患者のニューロンと健常者のニューロンの間にある遺伝子発現の違いについても報告しているが、この中にはシナプス機能に関連する遺伝子における変化や疾患における遺伝子研究でこれまでに示唆されていたものなども含まれる。
イギリス、カーディフ大学の精神遺伝学者マイケル・オーウェン教授は、統合失調症患者からのニューロンと健常者からのニューロンの違いを探すのには、シナプスが妥当な場所であると認めているが、そのような違いが統合失調症の原因だという結論を下すのは論理の飛躍であるという。
さらに、精神疾患患者からの細胞と健常者からの細胞の違いは、疾患そのものではなく、iPS細胞作成の過程によって引き起こされる変化を反映している可能性があると、米マサチューセッツ州ベルモント、マクリーン病院の幹細胞科学者キム・カンスー(金洸秀)准教授は警告する。健常な細胞と疾患のある細胞の違いがごくわずかであるかもしれない精神疾患においては、これが問題になる可能性がある、とキム准教授はいう。
これまでのところ作成されているiPS細胞の多くは、単一の遺伝子における変異から生じた疾患のためのものだ。精神疾患はそれぞれがまったく異なるものだ。3、000人以上の統合失調症患者を対象に行った最近の研究は、無数の遺伝的変異が疾患を形成していることを示している。(7)同じように問題なのは、ある患者の統合失調症の形態が、別の患者のものとは異なる遺伝的、環境的なものに起因するかもしれないということだとオーエン博士はいう。「これらの障害は真の意味での障害ではありません。統合失調症というものは存在しないのです。それはシンドロームです。それは精神科医がひとまとめにしたものの総称なのです。」
細胞モデルの狙い
ボストンにあるマサチューセッツ総合病院の化学神経生物学者スティーブン・ハガーティは、精神疾患の遺伝的複雑性に真っ向から取り組んでおり、ハガーティのチームは、統合失調症、双極性障害、その他の障害に関わる特異的突然変異のある患者のニューロンを再現している。統合失調症に関連する多くの変異が細胞にどのような影響を与えるのか分かっておらず、iPS細胞モデルはこれを解明する方法を提供してくれる、とハガーティはいう。
このような課題があるとはいえ、精神疾患のiPS細胞モデルは、これらの疾患の基となる根本的な問題とその治療方法を特定するために最も期待できるものかもしれない。ほとんどの抗精神病薬が同じドーパミン受容体をターゲットとしており、iPS細胞モデルが“これまでのものの類似ではなく、新しい治療法を見つける手段”である可能性もある、とマーゴリスはいう。
カリフォルニア州サンディエゴ、サンフォード・バーンハム医学研究所で精神疾患の研究をしている幹細胞生物学者エヴァン・スナイダーは、科学者が精神疾患患者の疾患に関連するニューロンの違いを特定するには、まだまだ研究を積み重ねていく必要があるだろうという。「統合失調症のような複雑な疾患も実験室の培養皿の中でモデル化できると思いがちですが、それは究極の単純化だということを認めなければなりません。」
とはいえ、スナイダーを含めて科学者たちは、必要な数の科学者が必要な数の患者からの提供を受けてiPS細胞モデルを作成することによって、謎の多い疾患について真の理解が得られるだろうと信じている。「我々は、どこかから始めなければいけないのです。」
参照
(1).Brennand, K. J. et al. Nature doi:10.1038/nature09915
(2011).
(2).Takahashi, K. et al. Cell 131, 861-872 (2007).
(3).Yu, J. et al. Science 318, 1917-1920 (2007).
(4).Moretti, A. et al. N. Engl. J. Med. 363, 1397-1409 (2010).
(5).Itzhaki, I. et al. Nature 471, 225-229 (2011).
(6).Raya, A. et al. Nature 460, 53-59 (2009).
(7).The International Schizophrenia Consortium Nature 460,
748-752 (2009).
2011年4月13日
Nature
http://www.nature.com/news/2011/110413/full/news.2011.232.html
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