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  HOME > アピール > 医科学研究のためなら何をしても許されるか  
 

アピール

AVA-net 90号:主張

動物実験の真実を見抜こう

医科学研究のためなら何をしても許されるか

野上ふさ子


  合法的かつ意図的に毒物を飲まされたり体を傷つけられる動物たち・・日本では推定で年間2000万匹もの動物が実験に供されている。日本 では動物実験に対していかなる法規制もないために、その全体像は闇の中に隠されている。私たち自身の生活を振り返り、少しでも生命や環境に負担をかけないライフスタイルに転換しよう。
 

動物実験に偏り過ぎた医科学研究

 一般の人々に動物実験について何から情報を得るかと聞いてみると、新聞やテレビの報道からと答えます。けれども、動物実験がどれほど残酷であるかとか、どれほど無益であったかという観点からの記事は載ったためしはなく、ほとんどが実験者の「成果」をそのまま無批判的に報じるものばかりです。

 メディアは、科学研究者から意図的に出されるこのような情報にほとんど免疫がありません。例えば、ある薬品を投与したネズミとそうでないネズミを比べると、有意の差が出た、従ってこの薬品にはこのような効能がありそうだというような実験があります。研究者側はあたかも、その動物実験によってすぐにも目に見える効果が期待できるかのような幻想をもたせて発表します。

 大学などの研究者であれば、「従って、さらにこの研究を継続していく必要がある」として、国の研究助成金を申請しますし、企業がスポンサーになっている場合は、商品の効能をより強く宣伝して売り出す戦略があるでしょう。

 実験的研究には流行があり、それが去った後にはほとんど何も残りません。かつて、「対ガン10ケ年計画」で「ガンとの闘い」が宣言され、「ガン撲滅」が勇ましく叫ばれました。そしてガンとの戦争のための莫大な税金が投入され、無数の実験動物がガン研究の犠牲とされてきました。しかしその一方、ガンを誘発する環境汚染物質や発ガン物質の規制は進まず、社会不安からくるストレスの解消法もないわけですから、一向に成果はあがらず、結局今は「ガンとの共生」という結末に至っているのです。

 実際には多くの動物実験は社会にとって何の益にもならないばかりか、かえって有害な側面があること、税金を無駄使いし、資源の乱消費にすぎないことを、私達はことある毎に明らかにし、訴えていく必要があると思います。まして、それらの研究の大部分は、国民の税金でまかなわれているのであり、私たちは納税者として税金の使い方がある特殊な研究(動物実験)に偏り過ぎていることを主張する権利があるのです。

 動物実験という行為によって、これほど多大な苦痛を動物に与えていながら、その犠牲に見合うだけの社会的貢献が為されているかという客観的評価は何もなされないということは、大きな社会問題の一つというべきでしょう。
 

医学・医療に対する意識の転換を

 医学や薬学の分野における動物実験は、まず目的とする病気や障害の理想的な姿を、動物を使って作り出すことから始まります。このことは、どのようにしたら動物をガンにしたり、高血圧にしたり、心臓病にできるかということを意味します。

 けれどもガンや心臓疾患、高血圧などの「生活習慣病」と名付けられたこれらの病気のほとんどは、まさに人の生活習慣、ライフスタイルからくる病気です。自分自身の健康への注意をそっちのけにして、人工的に動物を病気にして、その動物の治療法から考えるというのは、時間と労力、費用の無駄使いとしか言いようがありません。

 さらに、問題なのは、今年日本でも発生が確認された「狂牛病」のような病気です。この病気においては、細菌もウイルスも発見できず、免疫抗体反応も検出できません。食べ物のとして摂取したタンパク質が変異して発病するというこの病気の発見は、私たちがなじんできた病気についての考えを大きく揺らがしています。

 単に、食事やライフスタイルのあり方を考え直すだけで解決できる事柄を、ややこしく複雑にさせているのは、動物実験研究や医薬品で巨大な利益を得ている人々のせいではないでしょうか。

 余りに多くの医薬品の開発が、患者に副作用や相互作用をもたらす元凶になっているばかりか、医療費の無駄使いや動物を犠牲を作り出す原因ともなっています。

 医薬品をつくるためには、まず病気のモデルとなる動物を人工的に作り出すことから始まります。次に、その病気のモデルにどのような薬物が有効か、ほとんど手当たり次第に動物に投与してメドを立てる「ふるいわけ試験」でもおびただしい動物が使われます。選別は、数千の化学物質のうち1〜2個しかないとも言われます。

 また、その薬物がどれほど効果があるか、効果量、効果持続性、適正投与法、投与時期など詳細な条件があり、そのすべてに多数の動物を用いて検討することになります。しかもそれは動物の種、系統、性別、年齢ごとに結果が異なるので、おびただしい数をこなして統計的に処理をするという手法が取られます。

 医薬品にこれほど資源と労力を費やすことができるのは、「豊かな国」(先進国)だけです。しかし、このことは同時に、それほど医薬にかまけている「病んだ国」(病人大国)であることも意味しています。過度に薬物や病院に依存しないということは、本当はそれらがいらないほど健康なのだということを忘れてはいないでしょうか。私達は、もっと自分達のライフスタイルを見直し、根本的な健康を求めていく必要があると思います。
 

危険を安全にすりかえる動物実験

 動物実験は、医学研究や医薬品に関わるものばかりではありません。

 化学物質にふれるとアレルギーになったりする「化学物質過敏症」をはじめ、ホルモン異常、生殖能力の減少など、様々な身体の異常が指摘されています。これは、私達の生活環境に氾濫する化学物質に対して、人の体が拒否反応を起こしているからに他なりません。

 ところが、人間の訴えを一つ一つ親身に聞いて集めるという努力をしないで、手っ取り早く実験室の中の動物を使って化学物質の「有害性=危険性」をデータで出すことが、「科学的」とされています。そして動物では異常はなかったから、人間にも安全であるという宣言が出されるのです。

 動物実験は、新規化学物質の開発の安全弁になっている側面もあります。毎年、何千という新規化学物質が実験室の中で化学合成され、食品添加物、農薬、洗剤、化粧品、食器、衣服、医薬品など日用品のすべてにわたって使用されているため、私たちは合成化学物質から逃れられないようにされています。私たちの身体は様々な化学反応で維持されているのですが、そこに未知の化学物質が関与したとき、アレルギー、ホルモン異常、免疫の低下など様々な慢性的身体異常が引き起こされることがしばしばあります。

 新規化学物質の開発には、法律で動物実験による安全性データの添付が義務付けられていますが、複数の物質の相互作用となると、実験自体、実質的に不可能です。

 消費者団体は動物実験のデータを使って危険性(毒性)を問いかけ、食品産業側も同じデータを用いて安全性は証明されていると言います。それはいわば危険か安全かの基準は閾値をどこに置くかの綱引きのように見えます。どんな添加物でも摂取量が多ければ毒になり、微量であればすぐには毒性は現れません。長期間の慢性毒性は動物実験では判明しないのです。

 私たちが毎日食べる食べ物にも動物実験は関わっています。野菜、果物、穀物、動物飼料などに使用される農薬が世界中の田畑に何百万トンもばらまかれています。農薬は、土壌の微生物を殺し、いわゆる「雑草」を生えなくさせ、「害虫」を殺します。農薬を飲めば人間も自殺できます。きわめて毒性が強いために、生態系に対する影響ははかりしれません。

 医療の場合は、受けるのは患者に限られますが、農薬の場合は、老若男女、地域を問わず、不特定多数の人々へ影響を及ぼします。特に皮膚や目に対する刺激試験は詳細に行われることになり、農薬の動物実験ほど悲惨なものはないとも言われます。また田畑や農作物に残留するために、長期間にわたる微量薬物を動物を投与し、慢性毒性の実験を行います。しかし、動物の種類や年齢、個体差が最も大きくでるのは、この慢性毒性の影響です。動物で目立った影響が無かったからといって、人間にも安全だなどということはできません。

 動物実験のデータというのは、それが密室の中で人工的に行われるだけに、使う者の立場によってどのようにでも使えるという二面性があります。安全性を証明するために多大の時間と費用をかけて動物実験を重ねるよりは、もう、これ以上の農薬、新規化学物質は必要ないのではないかという問いかけする方が賢明ではないでしょうか。そして、農薬をこれほど散布しなければならないような農業自体が問い直されなければならないでしょう。
 

動物実験にも生命倫理の導入を

 この数年、「遺伝子組み替え」実験や「クローン動物」などの生殖操作の研究は、とどまるところを知りません。特に動物を用いての細胞や遺伝子のレベルの操作によってどのような生物が作り出せるかという研究がたいへん盛んです。これらの研究には、ほとんど何の法規制もありません。

 多くの場合、遺伝子操作によって誕生した動物は、先天的に内臓疾患や免疫・ホルモン異常などの病気を抱えており、健康で長生きすることはおぼつかないと言われています。どのような生命にも生きる尊厳があるはずです。研究者たちの知的好奇心を満足させるために、生命の尊厳をどんなに蹂躙してもいいということが許させるはずがないのです。しかし、残念ながら、実験室の中でそのような生命を作り出すことに対する倫理的問いかけはほとんどなされたことがありません。

 また、それ以上に問題なのは、何のか止めもなく行われている動物を使った生命操作の研究は、最終的には人間に応用することを目的としているということです。

 医科学研究においても、幅広い各分野の人々が参加する第三者機関による事前評価と事後調査のシステムが必要です。それがないまま、ただ動物を使った実験は必要だという一方的な情報のみが垂れ流しにされていくならば、私たちの社会はいつか大きな危機にさらされることになるでしょう。

 

 

 

 

 

 
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