AVA-net 87号:巻頭言
動物実験データは、やる人次第で変わる
かつて、多くの動物実験によって証明されたこととして「魚の焼けこげを食べるとガンになる」というキャンペーンが展開されたことがあります。しかし、左の記事によると、ラットではなく人間の肝臓細胞を用いると、まったく異なる結果が出たとのことです。しかも、魚の焼けこげの変異原性(発ガン性)については、数十倍も過大評価され、ディーゼルガスの成分は逆に過小評価されていたとのこと。このような結論の背後には、実は、魚食をやめさせ肉食を増大させようとしているスポンサーがいたり、ディーゼルの排ガス規制の強化に反対する業界がいるのではないかと、疑わしくなります。
科学的データというものは、実はどのような結論を得たいかという目的によって大きく左右されるものです。科学研究は、一つの仮説を立て、それが成立するかどうかをデータの集積によって証明しようと試みます。そのとき、仮説の証明に都合の悪いデータは切り捨てるということが、ごく一般的に行われます。一見、客観的に見える科学的データも、実はどのような条件で入手し、どのような系で分析するかによって、いかようにも操作できるのです。
実験で証明できることは、あくまで、一定の限られた条件下でのできごとでしかありません。それに加えて、実験室の中でネズミに行った実験の結果を、様々な要因が複雑にからみあう人の健康や、環境・生態系にまで拡大解釈することには、大きな無理があります。
科学の学説もまた、一つの「仮説」です。それは、普遍的真実というよりも、その時代のものの見方や、スポンサーの意向によって大きく動かされます。現在、多くの人々が「動物実験は医学の発展のために必要不可欠」と信じていることも、次の時代には、「動物実験の結果を人間にあてはめるなんて、よくあんな非科学的なことをしていたものだ」というようになるかもしれません。 (野上)