AVA-net 85号:巻頭言
動物実験に対して、
「王様は裸だ!」という勇気を
動物実験は何のために行われるのでしょうか?
普通、一般に考えられているのは、人間に医療行為を行ったり、新規化学物質にさらす前に、動物を身代わりにしてその作用を試してみるために行われるということでしょう。
この場合、動物はあくまで人間の身代わりなので、それらの行為は最終的にはすべて人間に対して行われることになります。とすれば、動物実験に対していかなる規制も倫理規定もないということは、ひいては人間も同じように扱われる恐れがあるということに他ならず、ぞっとするような思いを抱く人は少なくないでしょう。
この観点では、動物実験に法規制や倫理教育の必要性がないという人がいるとは考えられません(ただし、実験をしている当事者を除く)。
しかし、多くの人々の目に隠されている動物実験の分野があります。それは、単なる研究のための研究、論文を書くためのだけの実験です。これは「医学的知識の蓄積」「基礎医学の研究」と称していますが、実際に、人間の臨床(病気の患者の治療)に応用できるようなものはほとんど無いと言われます。インターネットなどで、毎日のように開催されている医学関係の学会を見て下さい。その数の多さもさることながら、そこで発表されている研究がどれほど細分化され専門化され、「部外者」にはほとんど理解できないものになっているかを知っておどろくでしょう。密室の中で自分たちにしか通用しない専門用語(隠語)で科学的装いをこらしている実験的研究も、第三者がその現場に立ち会い、詳細を点検してみれば、いかにばかげた、おぞましい研究のために、おびただしい動物が犠牲にされ、公費が乱費されているかを知って、愕然とすることでしょう。
本当に、これほどおびただしい動物に限りない痛みと苦しみを与えなければ、人間は健康で幸福になれないとでもいうのでしょうか。決してそうではないと信じます。事実、動物実験に依存した近代医学の歴史は、わずか百数十年にすぎません。人類は、数百万年もの間、すべての生命が本質的に有している生きる意思と、自己治癒力によってここまで生き延びてきたのであり、そのことはこれからも変わりません。
動物実験は、いかに動物の生きる意思を奪い、いかに心身に損傷を与えて病気を誘発させるかという研究です。それは、痛み苦しむものを救うという医学の本来の道に相反した非人間的、反自然な行為であり、人間性を喪失させるものだとしか言いようがありません。医学研究のためには動物実験は必要だという思いこみを、根本から問い直さなければなりません。(野上)